躁うつ病と和解しました。

躁うつ病(双極性障害)で15年以上苦しんでましたが、和解しました。

わたしには、なれない

『人は皆動物だから、生まれつきの資質を生かす生活をすれば健康でいられる。

人の社会はなかなかそれを許さず、歪めて病気にしてしまうね。』

神田橋條治先生に言われたこと。

 

躁うつの波をうまく乗りこなせるようになってから気づいたけど、

自分が、わたしはこういう人間だと思い信じ続けてきた形は、

実は育てられた環境で、悪く言えば無理に矯正肉付けされたもの。

本来のわたしが持って生まれた資質、DNAに刻み込まれたものは全く正反対だった。

躁うつで苦しんでた時は、若干それに気づいてはいたけど認めるのがこわかった。

いまは完全にそれを認めることができるようになって、心を許した人にはそれを暴露できるようになってすごく楽。

 

わたしは、ものすごく面倒くさがりでどうでもいいことは適当だし、

綺麗好きでもない。

お風呂とか完全に面倒くさい。

お風呂から出たあとは気持ちよくて後悔したことなんて一度もないけど、

入るまでが異常に面倒くさい。

度を超えた出不精なのも、「人混みが嫌い」「行列に並ぶことの意味がわからない」「家でひとりでやりたいことが結構ある」とか言ってるけど、まあそれも全部正しいんだけど、

結局根本にあるのはすべて『面倒くさい』なんだ笑

 

あと、物事に極端に熱しやすくて冷めやすい、異常に熱中したかと思えばすぐ飽きる。

これがわたしの趣味です!と胸を張って言えるものが、特にない。

ただ、やった経験のあるものはすごく多い。

たとえば何かモノを作る的なことはひととおりやってきていて、

家具とか自分で作ったり、庭掘り返してレンガ敷いたり夢の中のように花を育ててた時もあるので、何でもできて器用な人と勘違いされるんだけど、決してそうではなくて、やれば誰でもできるレベル。

「やってみたいなーでも今は忙しいし給料は入ってからじゃないと準備できないし」で足踏みするのが多くのまともな人で、「やってみ・・・」くらいで既に動いちゃってるのがわたし。

 

極めるところまでは気持ちが持続しないから、何事も中途半端で終わる。

まあそれでも数年周期で「あの情熱ふたたび・・・!」みたいな感じで興味が戻ってくるので、もうこれはこれでいいや。

 

祖先を辿ると、農耕民族ではなく狩猟民族だっただろうなと思う。

常に何か目標や追いかける存在、探求したいことがないと、

退屈してダメになるタイプだ。

手に入れた途端とかトップ近くまでいった途端、どうでもよくなることが多い。

難しいことでも、攻略できたあとに急にくる『飽きちゃった』感は尋常じゃない。

どーんとグラフの頂点にくる好奇心と集中力がすごすぎて、そのままだと危険なほど熱くなりすぎたりフリーズするから、防衛本能でしゅんと冷めるのかな。

こういう元々の脳の動きとか信号の出方こそが、躁うつなのかなと思ったり。

 

若い頃は、

上の言うことを聞いて、嫌でもハイと言って、頭を下げ続けて、満員電車と格闘しながら、

くたびれて飲んでは愚痴ばかり言って、

定年まで働き続ける日本のサラリーマンを格好悪いと思っていた。

わたしの父親もそうだった。

 

歳をとったいま、というか数年前にハッと気づいた。

あのくたびれたサラリーマン達が、日本を作ってきたんだ。

結局は家庭を家族を守る!という目的のために、嫌でも納得いかなくても頭を下げて、

同じ場所で働き続ける人がいてくれたから、世の中が回ってる。

あの人たちすごいな、わたしにはなれないできないと、結構愕然とした。

 

みんながみんなわたしのように、

どうしても納得いかないとか飽きたとか別の世界も見てみたいとか、

そんなことばっかり言って本当に行動起こしてたら、

今の日本の姿はなかっただろうなと思う。

 

矛盾してるんだけど、

日本のサラリーマンを格好悪いと思いつつも、わたしもそういう家庭で育ってきたから、

自分もそういうタイプの人間だと思っていた。

思っていたし、そうでありたかったというのが本音かもしれない。

 

でも薬が抜けたとき、しっかり気づいてしまった。

わたしはそっち側の、ちゃんとした方じゃないなと笑

こっち側の、いい加減な方の人間だなと気づいてしまったの。

生まれもってはいい加減なのに、

明治生まれの厳格な祖母がいる環境の中、すごくちゃんとちゃんと育てられて、

『継続だけが力、我慢は美徳』と信じてきた。

そりゃあ躁うつも悪くなるわ。

「なんでも一人でできるね、きちんとやり遂げるね、優等生、几帳面」ずっとそう言われて、たぶんそうじゃなくちゃいけないんだとか無意識に信じてたんだろうな。

その延長線上には、『そういう風にしていれば、わたしを見てもらえる』、

その先の勝手な自動変換には『そうしていないと、わたしを見てもらえない』。

子どもは純粋バカだから、決してそんなんじゃないのにそう信じ切ってる。

その無意識の呪縛のまま、おっきくなっちゃった笑

それが未だ続く、極端に自信が持てないとか自己肯定感が低い部分と、仕事なんかで必要以上に頑張りすぎてしまう癖につながってるかも。

そう考えると『ひたすら褒めて期待してるよと伸ばす』みたいな教育法もどうなのかなー、

人によってはいいのかもしれないけど。

 

この間ふと、仕事に行くのが嫌で嫌で

あー男に生まれてヒモになりたかったなと本気で思った。

よかった、わたし男に生まれてたらきっとクズ中のクズだった。

お母さん、女に産んでくれてありがとう。

 

あと数日前の深夜番組で、

『フィリピン人は給料日に全額近くお金をおろして家族で豪遊しちゃう。残りの日々は質素に暮らす。その豪遊日のために働いてるし生きている、明日死ぬかもしれないし、という国民性。』ていうのやってて、すごく共感できちゃったし理解できちゃったし納得した。

神田橋先生がフィリピンには躁うつ気質がうじゃうじゃって言ってたもん。

脳みその考え方が刹那的なんだろうな笑

刹那的と言えば聞こえはいいけど、やっぱりクズ側なんだよねえ・・・

 

ま、わたしはしっかりクズ側を自覚したので、今後は上手に、

いままでよりずっと楽に生きていけると信じてる。信じたい笑