減薬→断薬
神田橋先生に指示された、合わない薬の減薬→断薬は、本当に本当にきつかった。
それまで通っていた心療内科から新しい心療内科に移り、そこの指導のもと減薬をしていったけど、指導と言ったって「2錠を1錠に、辛かったら無理せず2錠に戻して」程度のもので全く頼りにはならなかった。
わかるんですよ、減薬・断薬はリスクが高いから何かある可能性も高いわけで、医者も消極的になる。自分の責任にされたら困るもんね。
けどいわゆる『依存』と言われるもので、楽に減らしたりやめられるものなんかない。
お酒・タバコ・薬物・ゲーム、ダイエットだって同じ。甘い砂糖も結局は依存。
そういったものに関しては『本当に本当のところ、自分はどうしたいのかなりたいのか』と、強い意志もたないと無理。
断薬について参考にするために読んだのは、『アシュトンマニュアル』
アシュトンマニュアルに関しては、減薬・断薬の方法というよりも「あ、やっぱ本当にここいらで断薬しなきゃまずいな、がんばろう」と気持ちを保つのに役立った。
減薬・断薬前のわたしは、躁うつの気分安定薬、抗不安薬、抗うつ薬、睡眠導入剤、睡眠薬を飲んでいた。
まず抗うつ薬処方自体がなんなのって話なんだけど、それが追加される前に確かドうつ期があって、「これがかなり切れ味がいい」(=早くよく効く)と処方された気がする。
断薬したいま、こういう「切れ味がいい」とか「マイルドに効く」とかいう独特な表現、虫唾が走るほどイヤだ笑
たぶんもう薬のカクテル状態になってたんだろうな。
結果的にその後毎日襲ってくる希死念慮におびえる状態になり、
神田橋先生の所に行く気になったんだから、一周まわって感謝してる。
減薬から完全断薬までは、約1年間という時間をかけている。
これはシングル母であるわたしが、仕事をやめてまで取り組みたかったことなので、ここは絶対に失敗したくなかったから。
断薬の離脱症状がほとんど出なくなるまでには、更に1年以上かかった。
このあいだ、久々に懐かしいシャンビリ(離脱症状)がふっと出たので驚いた。
異常に疲れた時、体を壊している時などに『古傷が痛み出す』みたいな感じでほんの少し出ることがある。
・・・つまり、すべてではないけど精神科系統の薬って、そういうことなんだと思う。
一度脳が記憶してしまった感覚というか、もう出るはずがないものが出るというのは、脳のどっかがエラーを起こしてるんだろう。
十数年、たくさんの薬を飲んでいる間、言われるのが本当に嫌な言葉があった。
「精神科で出るような薬は所詮、麻薬・覚せい剤と一緒なんだよ。」
悔しくて悲しくて、どうしようもない気持ちになってた。
わたしは躁うつ病という病気のために仕方なく薬を飲んでるというのに、
好奇心や快楽のための麻薬と一緒にするとはどういうこと!?と。
でも減薬に取り組むと、なんとなくそれがわかった。
シャンビリと言われる不快な痺れる感覚、頭の中・耳の奥にシャンシャンと響く音。
血管の中を冷たい水がスッと流れるような感覚。
光の眩しさが、痛くてたまらない感覚。
幻覚や幻聴も、そんなに多くはないけどあった。
それがしんどくて、また薬を元の量に戻すと楽になる。
ああ、なかなか手を離してくれない、そうか麻薬と同じなんだなーって。
でも、それを認めるのが本当に本当に嫌だった。
たくさん飲んできた薬のこと思い返してみても、「効いた!これでよくなった!」というものなんて、ひとつもなかった。
それでいて、やめたいというときはこんなに大変なのか・・・と絶望した。
けど、あの言葉だけを支えに何とかがんばれた。
「大丈夫。合わない薬をやめれば、希死念慮はなくなる。」
離脱症状の辛さよりも希死念慮の恐ろしさの方が上回っていたので、
がんばれたんだと思う。
わたしの場合は、
・躁うつの気分安定薬→わたしに合っていると思われるものに変更
だったので、うまくいけば6種類飲んでいた薬が、シンプルに躁うつの気分安定薬+漢方薬のみになる。
減薬方法は、薬をカッターで削りながら少しずつ減らしていき、それを1~2週間続けて次の段階にいくという方法。
自分で少しずつ減らすには?と考え試行錯誤した方法なので、正しくはないでしょう。
この手の薬の減薬は、半分とか3/1とか、そんな大雑把ではたぶん失敗する。
細かく削って空カプセルに入れて飲むという形をとっていた。
カプセルに入ってるものはカプセルをあけて減らしてから、また空カプセルに入れて飲む。
この作業、変な罪悪感がつきまとってくる。
なんかいけないことをしているみたいで、何やってんだ私はって、
時には泣きながら薬を削ったり脱カプセルしてた笑。
何度も何度も投げ出したくなった。
微量の減薬を1週間スパンで、もうこの感覚は自分の体と相談しながらしかない。
医者に離脱症状がきついと話せば、「じゃあ元に戻して」という回答しかないので、
だれにも頼れない。ひとりきりの戦い。
その段階を越えて、次はその少ない量を1日おき、2日おき…と感覚をあけていった。
とにかく振り出しに戻るのが怖くて怖くて、わたしにしてはとても慎重にすすめていた。
最後、もうチリ?ホコリ?みたいな微量になって、もういいだろと全く飲むのをやめると来る、シャンビリ。
そのうち離脱症状が気にならなくなってきて、
数日おきの薬を自然に忘れるようになって、
断薬に至った。
新しく神田橋先生に処方された躁うつの気分安定薬は、ある時に突然「いらないかも。漢方だけでいいかも。」と思えた時があり、それを機に飲まなくなった。
神田橋先生に、
「この薬も減らしていいなという時期が来たら減らしてみて、そのうちいらないという時期が来たらやめていい。調子が悪くなったら飲めばいい。そういうことが、あなたにはできるから。」
とも言われていたので、自信もついてきていた。
神田橋先生がおっしゃっていたとおり、躁うつの波が穏やかになれば薬はどんどん減らせて、最終的にいらなくなる。というところまでたどり着けた。
文章にしてしまうと簡単にできた感じなんだけど、
もう本当に本当にきつかった。
正直、約1年もかかるものとは思っていなかった。
というか、無職で1年かけたから成功したのかもしれないなー。
しかも離脱症状が気にならなくなるまでに、さらに1年。
もう二度とこの手の薬は飲みたくない。
そして完全断薬してから4年目に入ったけど、希死念慮は一度も出ていない。
すべてが強烈だったから、しっかり憶えてはいるけど。
長い長い本当に長い悪夢をみていたような感じ。