躁うつ病と和解しました。

躁うつ病(双極性障害)で15年以上苦しんでましたが、和解しました。

なんでも躁うつのせいにしない。

躁うつの波が穏やかになった現在。

いつも楽しく穏やかで、やる気もありよく眠れるのか?

というと、まったくそんなんではない。

というか、もはやそんな人間は存在しない。

特にわたしは本来がめんどくさがりなので、

毎朝どうか勤務先から『今日は臨時休業』という連絡が来ないものかと期待してる。

 

以前のような『ドうつで動けなくて天井ばかり見てる』とか『躁による浪費・自暴自棄』という、生活に支障をきたすような極端な状態ではなくなった、というだけ。

だって躁うつは病気というより、体質・気質。

持って生まれたDNAの中に刻み込まれたものだから、しょうがない。

 

薬を完全に抜いてよーくわかったんだけど、

人間とは、なんて天候に左右される生き物なのかということ。

でもこれは体質によるのかな?

最近『天気痛』なんて言葉があるけど、わたしも天気やら気圧やらの変化でものすごく体調が変化する。

気圧が急激に低下する前に、猛烈に調子が悪くなる。

頭痛、吐き気、ひどい乗り物酔いみたいになってしまう。

特に春先は酷い。だから毎年春、猛烈に調子が悪かったのか。

逆に急激に気圧が上がるときも、すごく違和感がある。

心臓がすこしドキドキして、頭はふわふわちょっと酔っぱらってるような気持ちいいんだか悪いんだかわからない感じ。軽い焦燥感を感じる時もある。

そしてわたしが調子悪くなるより少し前に必ず、

これは100%の確率でうちの猫が吐く。

これにふと気づいたとき、本当に心の底から安心した。

わたしたちは、やっぱり動物なんだ!と。

 

なんとなくの感覚だけど、心療内科や精神科にかかる人は『天気痛』にやられてる人が多い気がする。

身の回りでも、人よりいろいろなことに気づき『気が利く』と言われる人は、もれなく天気痛と思われる症状に悩まされている感じ。

=内耳が敏感=自律神経が乱れやすい=生活全般ストレスフル という感じなのかな。

 

いまは天気痛対策の『頭つーる』なんてアプリもある。

気持ち悪いとか頭が痛くなったら見ると、たいてい気圧の大きな変化前なので、

もう大体の体調の悪さは天気のせいだと、あきらめもつく。

本来の使い方は事前に見て、悪くなるのを予防するために薬を飲むとかなんだろうけど、

なんかわたしは情報を見て影響受けるのが嫌なので後出しで使っている。

最近は、メニエール病の母が飲んでいた薬がわたしにも合うことがわかったので、

病院で処方してもらって頓服用に持ってる。

 

それに女性なら、毎月生理前やら排卵日前にぐるんぐるんと体内が変化し、そのあと生理が訪れ痛さ重さに悶え、調子が悪い日が多くて当然。

これも薬を切ってから気づいたんだけど、わたしの場合、排卵日直前だか当日だかには、眠れなくなる。

体は疲れていても、脳が眠ろうとしない感じだ。

動物本能で、なんか興奮してるんですかね笑

未だに仕事に行く2時間前まで眠れなーい!とかたまにあるけど、

「眠れない」ことに恐怖感焦燥感がなくなってしまったので、

睡眠薬に頼ることもなく、ただ単に仕事のパフォーマンスが落ちてるだけで済んでる笑

 

つまり。

特に病気でもない人でも、天気に影響を受ける体質で女性なら、

1ヶ月のうちの相当な日数を『なんか調子よくない』状態で過ごすことになる。

実際はあまり調子よくない状態だけど、日々の忙しさでそれに気づいてないか、

まあそれでも動けますというのがふつうってことかな。

 

ドうつの時期は生産性ゼロだから論外にするとして。

当時の言葉で『低め安定』と言っていた状態のとき、

やる気が出ない、動きたくない、ずっと眠い(または眠れない)、食べる気がしない、なんか気持ち悪い、

それらをすべて『自分は今、うつの時期だからそのせいだ』と思い込んでいたんだけど、

それは普通の人間でもそうだった。

そんな状態だけど、まあ仕方ないからがんばるかとか、仕事だし行かなきゃしょうがないとか、重い腰をあげて体にムチうってだるいわーねむいわーと言いながら行動できるのが、

『うつではない、ふつうの状態』ということ。

 

人間はどうしても、自分の体が調子悪い時には『そればっかり』に意識がいってしまう。

たぶん、自分自身に関心を持ち過ぎになってしまってたんだと思う。

外出の機会も極端に減るし、人と接することも少なくなるから、他人と自分の比較もしなくなる。

こういう時期、他人に目が行くと見てしまうのは輝いてる部分だけだ。本当はそれだけではないのに。

で、自分の少しの心拍の変化や内臓の動きにも気づいてしまい、意識してしまい、ああまた悪くなったと思い込んでしまう。

そんな自分が悲しくて辛くて、時には許せなくて、こういう不快な症状は

ぜんぶぜんぶ憎き躁うつ病のせいだと思い込んでしまう。

 

わたしはたぶん、ずっとそうだった。

 

今回どうしても書きたかったのは、

なんでもかんでも、『躁うつのせい』にしないということ。

躁うつのアタマが、かわいそうだ。

いま体の調子が悪いのは、なんで?と確認して、

お天気のせいなら、それはもう逆らえないからあきらめる。

女性であるからなら、ホルモンてすごいとあきらめる。

『こころは、いつも、おちついてる』ておまじない、けっこう効きます。

 

でも最近、男社会の人間観察で気づいたんだけど、

健康な男性の1ヶ月の間の心境の変化・上がり下がりも相当なものだわ。

男も随分めんどくさいなー、と思う。

男性も、なんか周期的なものがあるんだろうな。

 

で、そういう『調子が悪くなる仕方ない原因』が思い当たらないときは、

単に風邪だったりする。

 

躁うつ病治療中でも、たまに外出して少しでも楽しく感じることがあったり、

これやってみようと少しでも思ったりするなら、

それは自分が感じている、思い込んでるよりもずっといい状態かもしれない。

コンビニに歩いて買い物行けましたとか、その程度でもたぶんそれは結構調子いい。

医者が言う「低め安定がちょうどいい」は合ってるのかも。

わたしはその言葉にいつもムカついてたけど笑

 

なんだか偉そうなことを書いたけど、これがわかったのは波が穏やかになって外の世界に出て働いて、他人の浮き沈みを目の当たりにしたからですもん。

人の相談もたまに受けるけど、やだわたしの方がよっぽど情緒安定してるって笑

医者に「大物」とまで言われてたわたしがです。

だいじょうぶだいじょうぶ。

いまよりすこしでも良くなりたい!って、ぜったい腐らなければ

かならずよくなる、よくなるよ。