軽躁とうつのイメージ
軽躁状態は、たのしい笑
躁うつ病の辛さに苦しんでいた頃、
あの軽躁状態が永遠に続かないものかと、いつも願っていた。
反動で必ずやってくるドうつがしんどくて、消えたくて消えたくてたまらなくなる。
その両極端加減が重いのが躁うつ病。
で、躁うつ病と和解した今。
『ドうつ』状態はなくなって、
『うつ』ではないけど、ふつうのだるいなーいやだなーはあって、
問題の『軽躁』はどうなのかというと。
軽躁状態に関しては、苦しんでいた頃と感覚はあまり変わっていないの。
ボルテージは変わらず、アンテナの感度が弱くなったという感じ。
なんでもかんでもやってみたい、あれもこれも欲しいはなくなったけど、
コレ!というものに対してはやっぱり飛びついてしまう。
それに関しては、
いくら労力がかかろうと時間がかかろうと睡眠時間がなくなろうと孤独であろうと、
かまわない。
ただ、金銭的なことが大きく係わってくると本当にどうしようもないから、
あきらめや先延ばしというものが出てきて、時間の経過で忘れたり飽きたりする。
情けないけれど、この状態はすごく自分にとっていいと思う。
よしよしよし予定通り飽きちゃったぞ、みたいな笑
わたしの躁のイメージは、昔からこれ。
もう、このPVのまんま。
頭の中、湧き上がる感情、熱量がこういう感じ。
どんどん湧いてくるアイディアややりたいことや、
好き好き!というガソリンがトクトク漏れ出していて、
シラフの状態でこれなので、変な方向に進むと相当やばいっていうのは肝に銘じておかないと、痛い目を見る。
みたよ、痛い目いっぱいみた笑
基本的に楽しくて色あざやかでキラキラしてる状態だから、
ここに『借金』『他人を巻き込まない』『体を蝕むまでやらない』がなければ、
わたしにとっては、とてもいい状態。
軽躁を楽しめる、適度に味わえる、
そして行き過ぎて落とし穴にはまらないように避ける、
先に穴を埋めておくというのが、コントロールできるようになって得た技。
軽躁の後に必ずやってくるうつは、こんな感じで忍び寄ってくる。
存在がなくて、でも自分の中で確実に起こってるから、飲みこまれて自分をなくすという感覚に近い。
周囲の人が『変わってしまった』と感じるのも仕方ない。
ちなみにこの2曲は、おなじバンドThe Cureの曲。
同じバンドの楽曲とはとても思えないほどの差。
ラピッドサイクラー状態だったときは、
Friday・・・→Lullaby→Friday・・・→からの希死念慮勃発という感じで、
本当に本当に苦しかったな。
苦しかったなとか、実はあまり記憶にないほどしんどかった。
現在は、軽躁についてはクリオネからうぇーい!がなくなって、
着火前にひととおり確認作業を行っている模様。
「うん、まあいいでしょう。着火」くらいの適当さだけど。
うつの方は、じわじわ連れて行かれるような感覚がなくなって、
危ういなと思っても正気を保てるようになった感じ。
「あっ違うな」って自力で逆方向に歩いて、始点に戻れるようになった。
結果、躁とうつの高低差がおだやかになって
わたしは生きやすくなったということなのかな。