躁うつ病と和解しました。

躁うつ病(双極性障害)で15年以上苦しんでましたが、和解しました。

最後の砦へ。

崖っぷちにいたわたしが、最後に何としてでも会いにいこうと決めた人。

躁うつ病に悩む人なら、たぶん知っているかな。

神田橋條治先生。(神田橋條治 - Wikipedia

 

それまでに神田橋先生の著書はいくつか拝読しており、

こんなに躁うつ病を理解していて、長年の感覚みたいなもので患者を診ることができる仙人がいるのか!という期待と、・・・ちょっとなんかやばいな笑という部分と、

正直いろんな感情を抱いていた。

 

それまで十数年以上薬を飲んできて、薬には限界があると痛いほど実感してしまった部分、

明らかに悪化していると気づいてしまった部分。

そしてどうにかよくなりたいという、絶望的でもあり強くもある思い。

さらに度重なる希死念慮に襲われ、もう限界だと感じていた自分。

 

神田橋先生は、わたしの中では本当に本当の『最後の砦』だった。

苦しくて苦しくて仕方がないとき、いまはこんな状態だけど、

どうしようもなくなったら日本には神田橋條治がいる!

そういう勝手な心の拠り所でもあったので、

『実際に診察を受けてしまう』行為は賭けでもあった。

だってもし、神田橋先生のもとを訪れていい方向に向かわなかったら、

もうその先はないなという。

ま、実際そんなことは全くないけどね。

だってまた別の方法探せばいいだけのこと。

いまはこう言えるんだけれど、当時は本当にギリギリの精神状態だった。

 

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、

当時のわたしは死の覚悟をもって、神田橋先生に会いに行った。

それほど切羽詰まっていたし、助けてほしかった。

だから仕事もやめて、100%躁うつに向き合うつもりだった。 

仕事をやめて3か月かけて、やっと飛行機に一人で乗れる自信をつけて。

それが4年前、2014年の夏。

わたしの中では伸るか反るかの大博打。

 

神田橋先生のいる夏の鹿児島は暑くて暑くて、

でもなんだか開放的でなつかしい、不思議な気分だった。

 

初めてお会いした神田橋先生は、そこらの畑から出てきそうなおじいちゃんだった。

「ええ?そんなに遠くから来たの?へええ、すごいなあ。」

そう言って、わたしが事前に書いた問診票を読んでいた。

そこですぐ指摘されたのは、やはり服用している薬のこと。

「いやあ・・・これなんで?なんでこんなにいっぱい飲んでるの・・・〇〇はおかしいなあ。これが全部おかしくしちゃってるんだな。」

 

よくわからないけれど神田橋先生は、『何が原因でこじらせてるか?よくならないのか?』みたいな原因を突き止めるのが特技らしい。

絡まってもつれた紐をとくような、そんなイメージだと。

 

そのとき言われたのは、

・わたしに合ってなくて状態を悪くしてる薬

・必要のない薬

を教えて貰い、それは減薬を経て断薬すること。

それから、

・わたしに合っている薬と漢方薬に切り替えていくこと、それは地元の心療内科医といっしょにやっていくこと。

・そのうちわたしに合っている薬も減らして、必要ないと感じたらやめていい。調子が悪くなったら少し飲めばいい。

これだけだった。

そして独特の方法で、わたしに合うであろう薬を決定。

 

いちばん聞きたかった、襲ってくる希死念慮について。

「大丈夫。合わない薬をやめていけば、希死念慮は自然になくなるよ。」

 

途中、雑談もかなりあったんだけど、何度かびっくりすることがあった。

「あなたのお父さんかお母さん、どっちか鹿児島じゃないかね?」

わたしは父方が鹿児島。

わたしは東京生まれで、生まれる前に鹿児島の土地も何もかもなくなっちゃってるから、自分自身は鹿児島に特に思いもないんだけど。

 

「やっぱりね!最近これ試してるんだけどけっこう当たるの。初めて会う人に、この人、鹿児島に先祖いるんじゃないかなあっていうのが当たるようになってきた。」

「鹿児島にはね、躁うつの気がある人いーっぱいいるよ!フィリピンなんか行くと、もーっと、うじゃうじゃいるよー」

 

つまり暖かい地域特有の気性というか、性質ということらしい。

うじゃうじゃという言葉に、どれだけ救われたか。

躁うつ病は、脳の病気というより気質。

遺伝的要素が多く、合わないものに合わせようとしたり、無理をすることでどんどん悪くしていくということらしい。

 

そして、「何か選ぶことにしても、自分の直感や感覚を信じていい。訓練すると、その感覚がどんどん鋭くなる。躁うつの人はそういう直感力が強い人いるからね。あなたにはそれができるからね、やってみてね。」とも。

 

それからまあ、これは未だによくわからないんだけど、

わたしの前に立って、頭の前で人差し指を上下することを繰り返しながら、

『発症は27歳じゃない、もっと前。発症は17。19、23、27、32、35と何回も悪くしてる。』

とか言われた。なんか、見えるらしい笑

確かにその年齢にそれぞれ思い当たる大きい出来事があり、中には喜ばしいイベントもあった。

ちなみに問診票にそんなことは一切書いてないので、本気でひいた笑

・・・まあ、この辺はあまり書くと微妙な部分ではあるので、この辺にしておこう。

 

30分ほどの診察の中で、減薬を経て断薬する薬、新たに服用する薬、漢方を決めていただき、次にわたしが地元で通いやすい心療内科を探して(名簿から漢方やってる医師を「どれにしようかな」って適当に選んでた笑)、紹介状を書いていただいた。

その紹介状も私の前で読み上げながら書き、「こうやって書いたからね」と見せてくれた。

正直こんな紹介状で、行った先の医者は書いてある通りの薬を処方してくれるんだろうか?と不安でもあった。

だってだって、医者ってめんどくさ・・・難しいんだもん笑

アンチ神田橋先生みたいな医者だったらどうしようとか、

確実なデータもない状態で断薬だのこの薬に変えろだのうちではできませんとか言われたら、どうすりゃいいのっていう。

 

けど心配には及びませんでした。

転院先の心療内科医は、

『いやぁ・・・なつかしいお名前だ。若い頃、神田橋先生に憧れて手紙書いたんですよ・・・』と感激してニコニコ。

『神田橋先生がこの薬がいいっていうなら、そうするしかないですね・・・』と。笑

この医師は神田橋先生に選んでもらえて超光栄!という雰囲気で、

何の問題もなかった。

 

それにしても。

相当自信とか、よくなるという確信がないとこういう指示ってできないよなあ。

受け入れてくれた新しい心療内科医も、神田橋先生に絶対の信頼がないと、こんな遠隔操作みたいな治療受け入れないよなあ。

それぐらい精神科系の減薬、ましてや断薬って本当に厳しい。

決して安易にやっていいものではないし、できるものでもない。

わたしは1年以上かけて断薬を完了したし、離脱症状にも苦しんだ。

十数年間服用してきた薬を抜くのは、簡単なことじゃない。

断薬の四苦八苦については、また別のときに。

 

あと、神田橋先生にお会いするまでは頭の片隅にまだ、『こんなに長いあいだ薬でよくならないのは、実は躁うつ病じゃないんじゃないか?』みたいな、淡い期待もあったんですけど。

神田橋先生に診ていただいたことで、『あっ、やっぱガチで躁うつなんだ』と清々しく認めることができた笑

 

躁うつ病のすべての人にとって、神田橋先生がベストなのかはわからない。

個々の症状、個々の性格、合う合わないもあるだろうし。

仙人・達人の技みたいな部分もあるから、受け付けないって人もいると思う。

でも、「いくら医者がそんな症状ありえないって言ったって、患者さんがあるって言ってるんだから、それはあるんだよ。」という、

温度のある診察をしてくれる精神科医であることは確かだ。

 

これも有名だけど、繰り返し繰り返し読んでいた。

神戸の波多腰心療クリニックの院長先生が、

神田橋先生の口述を筆記したという『神田橋語録』

いまでも読むと、「あ、いいんだ」と安心するおまもり。 

 

どうでもいいけど『かんだばし じょうじ』なんて、ほんとかっこいい名前ね。