躁うつ病と和解しました。

躁うつ病(双極性障害)で15年以上苦しんでましたが、和解しました。

現在の私

名前は、杏子です。

本名ではないけれど、母が私につけたかった名前。

戸籍にも載っていたけど、残念ながら大きく✖がつけられている。

そのことが、それを知った子どものころからずっとずっと悲しくて、

こういう機会にと杏子という名前を引っ張り出してる。

 

私は、シングル母として長くなんとかやってきた。

離婚の原因は、やはりこの躁うつ病がひどくなった時。

元旦那は日々状態を悪くしていくわたしを見て、

「俺のせいでこうなったと思うと、耐えられない」と離婚を切り出してきた。

正直しばらくの間、彼はわたしと子どもを捨てたんだと思ってた。

そう思わないと、躁うつ病を抱えながら気持ちを奮い立たせて働き続けることができ

なかったし、離婚して数年間は本当に嫌いだった。

『怒り』だけが原動力の時代だったなあ。

時が経ち怒りもなくなり、断薬もして躁うつ病とうまく付き合えるようになったいま、

彼が切り出した離婚という選択は正しかったと思ってる。

結婚生活を無理に続けていたら、間違いなく共倒れしてただろう。

いまは元夫婦という枠を越えて、娘の共通の親であり、

わたしの心の支えでもある。

わたしは離婚後、一度も直接会っていないけど。

 

一人娘は早くから社会人として働いており、

いつになっても心配は尽きないけど、子育てはいちおう終了。

 

私自身は躁うつがひどい時も、割とずーっとパートで働いてた。

そうしないと生活できなかったからなんだけど、

今にして思えばそれがよかったというか。

仕事をしてると基本的に一生懸命やりたいのでそっちに集中できる分、

病気のことを考えないで済んだ。

仕事は最高に気がまぎれるし、何よりお金が入る。

調子が悪くて動けなくて鬱々と病気のことを考えて休んでいるときは、

本当にいつも死にたいに追いかけられていた。

自殺行動を起こしてしまいそうな自分が怖くて、

自分で自分の体を縛ってたりした、異常な日々。

自殺未遂をして病院に駆け込んだ数日後に、

荒療治とわかっていながら普通に仕事に行ったりした。

崖っぷちだったとはいえ、よくやったなあと思うし頭おかしかったなとも思う笑

 

でも稼げるときに稼いでおいたおかげで、どう考えたって休職しなくてはというときに

休むことができた。

ずーっと働いてきて、断薬に取り組む約1年半は無職だったかな。

離婚してからはずーっとお金なくて、いまでもお金ないんですけど笑

なんか生きられるもんですね。

 

いくつかの転職を経て、現在も非正規だけど正社員なみに働いている。

『働き方、働く場所、環境』というのも、躁うつ病と和解するためにはとても重要。

たくさんの失敗を重ね、やっと自分に合ったいい答えが見つかりつつある。

 

ちなみに職場にはいわゆる『クローズド』で働いている。

障害者枠とかではなく普通に働いている。

そういうキャラじゃない立ち位置にいるため、今更言えなくなってしまった。

 

それと私自身どこか冷めてる部分があるというか、

闇雲に誰にでも病気のことを明かすべきじゃないと思ってたりする。

やっぱり人間は「得体の知れないもの、よくわからないものは怖い」というのがあると

思う。

そして悲しいかな、どうしても差別ってあると思うから。

だからこそ躁うつ病みたいなちょっと微妙な病気のことをオープンにする相手は、

こちらが選択しなければいけないと思ってる。

自分の身を守る術。

 

躁うつ病と共に歩き始めてから長い長い道のりだったな。

これからもたぶん試行錯誤、たまにどきっとして、たまに忘れちゃうぐらいがいいな。

いやでも、うまく付き合えるようになれば人間なんて勝手なもので、

あんなに振り回されたのに、忘れちゃう。

わたしもずっと忘れてたもん。

 

最近数年ぶりに調子が優れなかったので、

ちゃんと思い出して、何がよくなかったのか、これかなと思う原因を次々と見つけた。

数年ぶりにパニック発作まで出て、また逆戻りかもと泣きながら落ち込んだ。

と思いきや、2日で立て直すことができた笑

だいじょうぶ。

躁うつが悪かったわけではなく、わたしの行いが良くないだけだった。

今回再発かと思うほど悪化したおかげで、

躁うつのコントロール能力がまた上がった。

 

そんな発見も書いていこう。