3冊同時進行で読むと、いいことがある。
人から指摘されて、変わっていることなんだと気づかされた。
わたしは本を数冊、同時進行で読む。
大人になって自由に使えるお金が増えてから、この読み方になってしまった。
興味がある本、すぐ買っちゃう。Amazonの重要顧客だと思う笑
その時興味があったり読みたい本を数冊同時に買ってしまって、我慢できない。
人には「なにその読み方、わかんなくなっちゃうんじゃない?」と笑われるんだけど、まったくそんなことはない。
ちゃんと憶えてるしおもしろいし、ていうか3冊同時だと3倍面白い。
そんなに変かなー、毎日朝ドラマ・昼ドラマ・夜ドラマ見てる感覚なんだけどな。
様々な医師が執筆している精神科系統と健康系統の本はすごく相性が良くて(選ぶ本によっては悪いかも)、
3冊同時に読んでいると、どんどん点と点がつながって線になっていく感覚がある。
あーこの人たちで会議して話し合って、そういう病院作ってくれないかなって。
わたしのベース・根本には、神田橋條治先生の考え方「人は生き物・動物だから、生まれもっての資質を歪めると悪くする」がある。
緊急時に薬の力を借りることはあっても、それを飲みながら実生活で我慢ばかりしているようでは、伸びきったゴムのようになっていずれブチッと切れる。
そして、薬に期待し過ぎてはいけない。
薬は対処療法であって、根本の解決にはならないことを忘れてはいけない。
薬は『松葉杖』に似ている。
この例えは、とってもわかりやすい。
歩けないからと言って、身長に合ってない松葉杖何本も持たされたら別の怪我しそうだもんね。
使うならその人に合ったものが用意されなければ、何の助けにもならない。
選ぶべきはよい医者(指導者)と自分にあった健康法だよ、自分の勘を信じていい。
それから、『医者ならやっぱり、患者さんが「いつかここに来なくなる日」を目指して治療するという姿勢をもっていないと。他の科はそれができてるのに、精神科はなんでそれができないのかな。』という虚しさや悲しみを孕んだ言葉。
これらが納得して自分の中に深く刻んだ言葉であり、ベース。
ここに、偶然イケイケの皮膚科医に指導された「鉄不足はうつ状態になるから試しに鉄分補給しよ!」で改善した実体験があり(元は吹き出物問題)、自分に運が向いてきたと感じた。
事後ではあるけど、去年、藤川徳美氏の「うつ・パニックは鉄不足が原因だった」を読んで、
やっぱりそうなんだ、すごーい!あの人ただのイケイケの医者じゃなかったと感激。
同時に天気痛に悩んでもいて、周囲の人も随分天気で具合が悪くなってるなーと感じたので、どうすればいいか知りたくて、佐藤純氏の『天気痛を治せば頭痛、めまい、ストレスがなくなる!』も読んでた。
それで、まてまて!ほとんどの心身の不調問題は元をたどれば自律神経のアンバランスじゃないかと気づいた。
もう、自律神経うんざりだよ。
この見えない存在、自律神経とやらに支配されてるわたしってなんなんだ?
つまりそこを攻略すれば、わたしがわたしを掌で転がせるんじゃないか?
もしかして、それって最強?
で、じゃあその自律神経のバランスを整えるには?と調べた結果、
・・・なんか、食事(栄養)と運動しかないみたい。(適当になってきた)
それで、溝口徹氏の『この食事で自律神経は整う』を読んで、さらに納得。
この本の中に『脳腸相関』という言葉があり、これは『腸が整うと心(脳)の不調も改善する、腸は第二の脳』ということ。
神田橋條治先生は昔から脳腸相関を唱えていて、お会いした時にも
「食べてそこそこ睡眠がとれて便通がよければ、とんでもないことにはならない。」
と言われた記憶がある。
やだ神田橋先生、考えが雑。と思ってたけど、薬を抜いてやればやるほど体感すればするほど、
これこそが真理。
ちなみに溝口徹氏の『この食事で・・・』は、「おわりに」の章が深い。
元々麻酔科医でペインクリニックを開業していた著者が、奥さんが訴え始めた体の不調や精神症状に違和感をおぼえ、抗不安薬などを処方して済む話ではないと取り組み始めたのがオーソモレキュラー(栄養療法)。
そういうことなんだ。
やっぱ大切な存在には、とりあえず抗不安薬!とはならないんだよね。
「目指す先がたぶんいっしょ、価値観がいっしょ」と思われる人の話は、
共通点であったり直線上でつながる部分が多く、それに気づいたときの気持ちよさったらすごい。
そこに自分の目標と価値観が合致すると、まあ驚くほど効果も出るし、うれしいからもっと!となるし、楽しい。
それは時に傾倒していると感じられるだろうし、宗教的と思われるのかもしれない。
でもいま思うのはあれだけの薬を十数年、
精神科医と看板を下げた赤の他人に言われるがままに飲んでいた事実、
それこそが、すごいカルト宗教的だったな。
わたしには誰かを神のように信じ切るみたいな感覚が全くないため、
実際に体感・経験したことのみ信じる。
いくら偉大と言われる人に対しても100%おっしゃる通りです、ついていきます!っていうのは、ない。
だからたまに救われないけど、いいとこどりもできると思ってて、それで何とか生きてこられたんだろうなと思う。
わたし自身は何にしても、疑問を感じて納得できなくなった時が離れ時なんだろうなと思う。
その次にやることは本能が合ってると感じれば続ければいいし、
飽きたらやめて、で、また悪くなった時に「これじゃいけない」って気づくんだ笑
これでいいのだ。
自律神経シーソー・腹式呼吸すごい。
3月後半から、ひたすら『自律神経のバランスをよくする』ことに取り組んできた。
根がいい加減なので、食事と栄養、腹式呼吸だけですが。
身にしみてわかったのは、『食をおろそかにすると全てが狂う』ということ。
3~5月まで『鬼門の春』の罠にはまりかけ、躁うつ再発か?と不安になるほどの心身状態の悪さ。
挙句の果てに、数年ぶりのパニック発作まで起こる始末。
これは恐れていた再発に違いない!とどんどん不安になって、
もうあの生活に戻るのいやだーと布団の中で泣いた。
泣き始めて数分後、急に思いついた。
「ずっと気持ち悪くて食べる気がしなくて、適当な軽いものばっか食べて、サプリ頼りにしすぎてたせいじゃないか?」
数週間の記憶を辿った結果、ビタミンB6・葉酸・ナイアシンが1日の上限摂取量を超えていた。
これらの摂りすぎによる症状で、『悪心、胃部不快感』とある。
鬼門の春に負けまいと、食べられない分をサプリで賄おうとしてた。
単なるサプリ飲み過ぎではないか。
わたしの本当に悪い癖だ、やり過ぎてしまう。
すぐに起き上って過剰に摂りすぎてたサプリを整理整頓して、少しずついろんなものを食べるようにして、さらに腹式呼吸始めたら、
2日でなおったよ笑
ものの考え方が上手になったこともあるんだろうけど、
あははーこれはどんどんコントロールできるようになるな!と確信した。
卵が先か鶏が先か論になってしまうんだけど、
心配事や不安、ストレス要因があるとまず胃にくる。
胃にきて食べられなくなって、栄養が足りないとかめちゃくちゃ偏るから、
どんどん脳からいい信号が出なくなる。で、延々とスパイラル。
そういう状態に陥るのは当たり前のことなんだけど、胃にきてしまうわたしはどうしたらいいのか。
なるべく心配要因とストレスを避けろってことになるけど、
まずそれは無理。
ストレスを溜めないようにって、いままで散々言われてきて、それはどうしたらできるのか未だに答えが見つかってない。
じゃあ、その自律神経とやらを強くするとか鍛えるとかしかない。
もう散々調べたけど、ぜんぶぜんぶ自律神経なんだ根本は。
なんなの?自分の意識とは関係なく働く自律神経ってどういうこと?
自律神経のバランスをよく保ったり切り替えるのが下手くそだから、
気圧の変化に弱かったり緊張状態がずっと続いたり、すぐ胃にきちゃう。
つまり環境の変化やストレスに強いと言われる人は、そこが強いという事。
強いというかバランスの保ち方が上手=交感神経・副交感神経のスイッチが上手=気持ちの切り替えも上手ということ?
じゃじゃじゃあその自律神経のバランスが崩れないようにするには、どうしたらいいのか?
いろんな本を読み漁った結果、難しいことは置いといていちばん手っ取り早いのが
『食事を変えること』と『腹式呼吸』だった。
その場ですぐできるのが腹式呼吸だから、とりあえずそっちから。
幸い中学時代に、かなり本格的な合唱部に所属していたこともあり、腹式呼吸のやり方はわかっていたのですぐ取り組めた。
数日続けただけで、気持ちがおだやかなことに気づく。
たぶん自分の体の不調にも敏感なので、よくなったということにも気づきやすい。
数年ぶりのパニック発作の後、気づいてすぐに腹式呼吸を始めたのがよかったのか、
その後もうパニック発作は起きていないし、たぶんもう起こらないだろうなと思ってる。
もしまた起きたら、腹式呼吸を続けることでよくなるだろうなと思っていて、
だから不安感が全くない。
それを機に、『鬼門の春』のスランプは完全に抜け出せた。
こんな簡単なことでこれほどの効果が出てるので、笑いが止まらない。
毎年しんどい梅雨の時期のめまいやだるさも、かなり少なくて気にならないほどだ。
医学の進歩は尊敬・称賛に値するものだとは思うけれど、
精神医学的なものに関しては古くから言われているような、
それこそネットも何もない時代に生きていた人たちが、気づきと工夫で見つけ出した知恵みたいなものをたいせつにすると、とってもいい効果が出るような気がしてる。
ちょっと雑でちょっと適当な感じの助言。
「ほら、深呼吸しなさい!」とか「偏った食べ方しなさんな!」とか、
お母さんやばあちゃんが言ってくれたことを守る、みたいな。
自律神経のバランスが崩れやすい人は、なんというか体のシステムがアナログなのかな。
たぶん、最先端・時短・インスタント!みたいなことばっかやってると病気になる笑
腹式呼吸の効果には驚いてるけど、自律神経のベストバランスまでにはまだまだほど遠い。
ここ最近のわたしは、万年交感神経優位から副交感神経優位になっていると思われる。
気持ちはずっとおだやか、なんでみなさんそんなにピリピリする対象があるんでしょうね?という感じなんだけど、まあ仕事中もずっと眠い。
仕事中もこっそり腹式呼吸やってたからか、リラックスし過ぎなのかな?
やる気が出ないという感覚とはちょっと違って、やりますやりますーでも眠いずっと眠いという、
いままでに仕事の場では体感したことのない感覚。
集中力もなくなって人の話が入ってこないから、
「ちょっと待ってもらっていい?」「もう1回言って?」が増える笑
あーのび太君てこんな感じなのかもなーと、ふと思った。
ある意味それも幸せの形ですが。
いまは眠る前だけ、布団の中で腹式呼吸。
眠りが確実に深くなって、最近変な夢をみていない。
何事も適度に適当にですね。
躁うつ和解に役立ったこと① フェリチン
調子よくなってからのことを思い出してみてる。
躁うつと和解できたのは、決して断薬がすべてではなくて、
並行してやったプラスになることがうまく融合して巡りだした、これに尽きる。
うまく巡りだしていい結果が出るから、気持ちもあがる。
強く役立ったと確信しているものを、思いだした時に書いていこう。
最近ちょっと注目されてる『フェリチン』。
通常の血液検査ではチェックされない項目。
フェリチンは体に蓄えている分の鉄分、体の鉄分の貯金分らしい。
一般的な健康診断などで、貧血かどうかの判断材料になるのはヘモグロビン値で、
ヘモグロビン値がいくら正常でも、貯金分のフェリチン値が低ければ貧血症状が出るそうだ。
ところがこのフェリチン値は通常チェックされない項目なので、
ヘモグロビン値は正常だけど、フェリチン値が低い『隠れ貧血』が多いらしい。
で、最近言われているのが、パニック障害やうつ病に『隠れ貧血』が影響しているかもということ。
なんかTVでも特集をやってたみたい。
実はわたし、このフェリチン値アップのために、
断薬を始めた時期の少し後から、ずっと鉄分サプリを飲んでいる。
フェリチン値がどうのこうのを知っていたわけではなくて、
本当に偶然、フェリチンに注目する皮膚科医に出会えたおかげ。
断薬前後は本当に身も心もボロボロで、
とにかく顔に吹き出物がたくさん出て、それが一向に治らなかった。
顔が痛いというほどだったから、重い腰を上げて近くの皮膚科へ。
そこの皮膚科の先生が、私の顔を見てひとこと。
「吹き出物がどうこうという問題じゃない気がする。貧血じゃないかな?」
元々、いつも健康診断やら血液検査では貧血の結果が出ていて、普段からひどい立ちくらみもあった。
でも、自分はこういう体質なんだとあまり気にもしていなかったのだけれど。
それでその皮膚科で血液検査をして、その際に測ったフェリチン値が『3』。
なくなる寸前だよーと、先生は大笑いしていた。
そして、
「今まで辛かったでしょう?よく普通に起きて生活してたと思うよ。鉄分がなくなる寸前だから動くの辛いの当然なのに、動けないなんて甘えだ!とか頑張ってたんでしょう?不思議とそういう人多いんだよなー、フェリチン値が異常に少ない人って。」
と。
ここにも救世主が出てきたかもと、なんとなく思った。
それからその先生は、続けて教えてくれた。
自分は専門外だから双極性障害のことは全くわからないが、
フェリチン値を計測し出してから統計をとっている結果。
フェリチン値がすごく低い患者さんのうち、7割が心療内科や精神科に通っている・通ったことがあるという人だった。
これで双極性障害がよくなるとは言えないけど、
フェリチン値を上げれば絶対今より体は楽になる。
脳からセロトニンも出て、心の状態もよくなることは断言できる。
わたしとしては、
『皮膚科医だから、精神科のことはさっぱりわかんないけど』とはっきり言ったうえで、
今より体は楽になるし、心の状態もよくなる。
だって、鉄分の在庫がずっとなかったんだから当然!と飄々と言う先生の言葉が、すとんと自分の中に落ちた。
先生の患者さんの中では躁うつ病はわたしがはじめてらしかったけど、
単極うつ病の人はフェリチン値をあげたことによって、その後の心療内科通院がいらなくなった人も結構いるそう。
「騙されたと思って鉄分とってみて、必ずいい方向にいく。楽しみにしてて!」
と、先生は満面の笑みだった。
そのあと10分以上先生が嬉しそうに話すのを聞いてた笑
要約すると、
なんでもかんでも薬出しとけばいいなんて言うのは古い。
薬が力を発揮するのは急性期だけ、そのあとは人間本来の回復力に目を向けて、それを強化することを考えなくちゃいけない。
いずれ日本にも、食事とサプリで薬を減らすとかなくすとか、病気を防ごうという時代が来る、というか来てるから!
神田橋先生に続き、このテンションの高い皮膚科医との出会い。
わたしはどう考えてもしなくてもいい苦い思いもたくさんしてはいるんだけど、
たまーに、すごくいい影響を与えてくれる人との偶然の出会いがある。
ちなみにこの皮膚科医も、東洋医学に重きを置いて漢方を取り扱ってる。
たぶん躁うつの治療にはこういう医師の方が相性がいい。
教科書だけの知識ではなくて、たくさん診てきた経験からアドバイスしてくれる人。
患者がよくなった、楽になったというのを見るのが楽しいという人。
人間だからね。
まあ期待を大きくもっていると、特に何も変わらなかった時のショックが大きい。
そんな事は今までの躁うつで、嫌というほど味わってきた。
だから、躁うつ云々ではなく、初めの目的『吹き出物を早くなくしたい』という目的で鉄分を摂ることにした。
以前から鉄剤は胃が受け付けないので、鉄サプリメント(ヘム鉄)で。
ところがこのフェリチン値を上げるという単純なことが、わたしには簡単にはいかなかった。
皮膚科専属栄養士の指導の下、鉄サプリを3か月とり続けたんだけど、
一向にフェリチン値が上がらなかった。
飲み始めて3か月後の血液検査の結果、フェリチン値は『3』で変化なし。
冗談かと思った。
栄養士さんも「どうしたものか・・・」と悩んでて、なんだか申し訳なかった。
「過去にひとりだけいたんですけど・・・その方もとてもフェリチン値が低くて、ヘム鉄で数字があがらなかったんです。それで困って、試しに吸収が悪い方の非ヘム鉄を飲んでもらったらフェリチン値があがったんです。試しにやってみますか?」
悔しいからやるやるー!と同じようにやったら、1ヶ月で簡単に上がった笑
栄養士さんもなんでかよくわからないらしいけど、体質・相性なんでしょうというところ。
おそらくこういうのも、教科書には書いていないことなのかなと思う。
そういう例もあるっつーんだからあるんだよ!っていう少し雑な感じ。
フェリチン値はもっともっと上げていいという数字だけど、
まず立ちくらみがなくなったのはびっくりした。
あと体が手足があったかい、熱いもの食べると汗が出るようになった。
傷ができてもすぐ治るようになった。
もちろん酷い状態だった吹き出物もひいた。
しょっちゅう風邪ひいてたのに、あまりひかなくなった。
あと、たまに飲む頭痛薬とかすごく効くようになった。
すごく単純なんだけど、体があったかくて回復が早いと、脳が安心する。
減薬・断薬は地獄の苦しみだったけど、乗り越えられたのは同時に貧血を改善していったからかなと思う。
躁うつ云々に関係なく貧血じゃないと体が楽になるので、
鉄サプリはおすすめしたいなー。
すぐに取り組めて安全なものは、効果が出るまでに必ず時間がかかるので。
減薬→断薬
神田橋先生に指示された、合わない薬の減薬→断薬は、本当に本当にきつかった。
それまで通っていた心療内科から新しい心療内科に移り、そこの指導のもと減薬をしていったけど、指導と言ったって「2錠を1錠に、辛かったら無理せず2錠に戻して」程度のもので全く頼りにはならなかった。
わかるんですよ、減薬・断薬はリスクが高いから何かある可能性も高いわけで、医者も消極的になる。自分の責任にされたら困るもんね。
けどいわゆる『依存』と言われるもので、楽に減らしたりやめられるものなんかない。
お酒・タバコ・薬物・ゲーム、ダイエットだって同じ。甘い砂糖も結局は依存。
そういったものに関しては『本当に本当のところ、自分はどうしたいのかなりたいのか』と、強い意志もたないと無理。
断薬について参考にするために読んだのは、『アシュトンマニュアル』
アシュトンマニュアルに関しては、減薬・断薬の方法というよりも「あ、やっぱ本当にここいらで断薬しなきゃまずいな、がんばろう」と気持ちを保つのに役立った。
減薬・断薬前のわたしは、躁うつの気分安定薬、抗不安薬、抗うつ薬、睡眠導入剤、睡眠薬を飲んでいた。
まず抗うつ薬処方自体がなんなのって話なんだけど、それが追加される前に確かドうつ期があって、「これがかなり切れ味がいい」(=早くよく効く)と処方された気がする。
断薬したいま、こういう「切れ味がいい」とか「マイルドに効く」とかいう独特な表現、虫唾が走るほどイヤだ笑
たぶんもう薬のカクテル状態になってたんだろうな。
結果的にその後毎日襲ってくる希死念慮におびえる状態になり、
神田橋先生の所に行く気になったんだから、一周まわって感謝してる。
減薬から完全断薬までは、約1年間という時間をかけている。
これはシングル母であるわたしが、仕事をやめてまで取り組みたかったことなので、ここは絶対に失敗したくなかったから。
断薬の離脱症状がほとんど出なくなるまでには、更に1年以上かかった。
このあいだ、久々に懐かしいシャンビリ(離脱症状)がふっと出たので驚いた。
異常に疲れた時、体を壊している時などに『古傷が痛み出す』みたいな感じでほんの少し出ることがある。
・・・つまり、すべてではないけど精神科系統の薬って、そういうことなんだと思う。
一度脳が記憶してしまった感覚というか、もう出るはずがないものが出るというのは、脳のどっかがエラーを起こしてるんだろう。
十数年、たくさんの薬を飲んでいる間、言われるのが本当に嫌な言葉があった。
「精神科で出るような薬は所詮、麻薬・覚せい剤と一緒なんだよ。」
悔しくて悲しくて、どうしようもない気持ちになってた。
わたしは躁うつ病という病気のために仕方なく薬を飲んでるというのに、
好奇心や快楽のための麻薬と一緒にするとはどういうこと!?と。
でも減薬に取り組むと、なんとなくそれがわかった。
シャンビリと言われる不快な痺れる感覚、頭の中・耳の奥にシャンシャンと響く音。
血管の中を冷たい水がスッと流れるような感覚。
光の眩しさが、痛くてたまらない感覚。
幻覚や幻聴も、そんなに多くはないけどあった。
それがしんどくて、また薬を元の量に戻すと楽になる。
ああ、なかなか手を離してくれない、そうか麻薬と同じなんだなーって。
でも、それを認めるのが本当に本当に嫌だった。
たくさん飲んできた薬のこと思い返してみても、「効いた!これでよくなった!」というものなんて、ひとつもなかった。
それでいて、やめたいというときはこんなに大変なのか・・・と絶望した。
けど、あの言葉だけを支えに何とかがんばれた。
「大丈夫。合わない薬をやめれば、希死念慮はなくなる。」
離脱症状の辛さよりも希死念慮の恐ろしさの方が上回っていたので、
がんばれたんだと思う。
わたしの場合は、
・躁うつの気分安定薬→わたしに合っていると思われるものに変更
だったので、うまくいけば6種類飲んでいた薬が、シンプルに躁うつの気分安定薬+漢方薬のみになる。
減薬方法は、薬をカッターで削りながら少しずつ減らしていき、それを1~2週間続けて次の段階にいくという方法。
自分で少しずつ減らすには?と考え試行錯誤した方法なので、正しくはないでしょう。
この手の薬の減薬は、半分とか3/1とか、そんな大雑把ではたぶん失敗する。
細かく削って空カプセルに入れて飲むという形をとっていた。
カプセルに入ってるものはカプセルをあけて減らしてから、また空カプセルに入れて飲む。
この作業、変な罪悪感がつきまとってくる。
なんかいけないことをしているみたいで、何やってんだ私はって、
時には泣きながら薬を削ったり脱カプセルしてた笑。
何度も何度も投げ出したくなった。
微量の減薬を1週間スパンで、もうこの感覚は自分の体と相談しながらしかない。
医者に離脱症状がきついと話せば、「じゃあ元に戻して」という回答しかないので、
だれにも頼れない。ひとりきりの戦い。
その段階を越えて、次はその少ない量を1日おき、2日おき…と感覚をあけていった。
とにかく振り出しに戻るのが怖くて怖くて、わたしにしてはとても慎重にすすめていた。
最後、もうチリ?ホコリ?みたいな微量になって、もういいだろと全く飲むのをやめると来る、シャンビリ。
そのうち離脱症状が気にならなくなってきて、
数日おきの薬を自然に忘れるようになって、
断薬に至った。
新しく神田橋先生に処方された躁うつの気分安定薬は、ある時に突然「いらないかも。漢方だけでいいかも。」と思えた時があり、それを機に飲まなくなった。
神田橋先生に、
「この薬も減らしていいなという時期が来たら減らしてみて、そのうちいらないという時期が来たらやめていい。調子が悪くなったら飲めばいい。そういうことが、あなたにはできるから。」
とも言われていたので、自信もついてきていた。
神田橋先生がおっしゃっていたとおり、躁うつの波が穏やかになれば薬はどんどん減らせて、最終的にいらなくなる。というところまでたどり着けた。
文章にしてしまうと簡単にできた感じなんだけど、
もう本当に本当にきつかった。
正直、約1年もかかるものとは思っていなかった。
というか、無職で1年かけたから成功したのかもしれないなー。
しかも離脱症状が気にならなくなるまでに、さらに1年。
もう二度とこの手の薬は飲みたくない。
そして完全断薬してから4年目に入ったけど、希死念慮は一度も出ていない。
すべてが強烈だったから、しっかり憶えてはいるけど。
長い長い本当に長い悪夢をみていたような感じ。
なんでも躁うつのせいにしない。
躁うつの波が穏やかになった現在。
いつも楽しく穏やかで、やる気もありよく眠れるのか?
というと、まったくそんなんではない。
というか、もはやそんな人間は存在しない。
特にわたしは本来がめんどくさがりなので、
毎朝どうか勤務先から『今日は臨時休業』という連絡が来ないものかと期待してる。
以前のような『ドうつで動けなくて天井ばかり見てる』とか『躁による浪費・自暴自棄』という、生活に支障をきたすような極端な状態ではなくなった、というだけ。
だって躁うつは病気というより、体質・気質。
持って生まれたDNAの中に刻み込まれたものだから、しょうがない。
薬を完全に抜いてよーくわかったんだけど、
人間とは、なんて天候に左右される生き物なのかということ。
でもこれは体質によるのかな?
最近『天気痛』なんて言葉があるけど、わたしも天気やら気圧やらの変化でものすごく体調が変化する。
気圧が急激に低下する前に、猛烈に調子が悪くなる。
頭痛、吐き気、ひどい乗り物酔いみたいになってしまう。
特に春先は酷い。だから毎年春、猛烈に調子が悪かったのか。
逆に急激に気圧が上がるときも、すごく違和感がある。
心臓がすこしドキドキして、頭はふわふわちょっと酔っぱらってるような気持ちいいんだか悪いんだかわからない感じ。軽い焦燥感を感じる時もある。
そしてわたしが調子悪くなるより少し前に必ず、
これは100%の確率でうちの猫が吐く。
これにふと気づいたとき、本当に心の底から安心した。
わたしたちは、やっぱり動物なんだ!と。
なんとなくの感覚だけど、心療内科や精神科にかかる人は『天気痛』にやられてる人が多い気がする。
身の回りでも、人よりいろいろなことに気づき『気が利く』と言われる人は、もれなく天気痛と思われる症状に悩まされている感じ。
=内耳が敏感=自律神経が乱れやすい=生活全般ストレスフル という感じなのかな。
いまは天気痛対策の『頭つーる』なんてアプリもある。
気持ち悪いとか頭が痛くなったら見ると、たいてい気圧の大きな変化前なので、
もう大体の体調の悪さは天気のせいだと、あきらめもつく。
本来の使い方は事前に見て、悪くなるのを予防するために薬を飲むとかなんだろうけど、
なんかわたしは情報を見て影響受けるのが嫌なので後出しで使っている。
最近は、メニエール病の母が飲んでいた薬がわたしにも合うことがわかったので、
病院で処方してもらって頓服用に持ってる。
それに女性なら、毎月生理前やら排卵日前にぐるんぐるんと体内が変化し、そのあと生理が訪れ痛さ重さに悶え、調子が悪い日が多くて当然。
これも薬を切ってから気づいたんだけど、わたしの場合、排卵日直前だか当日だかには、眠れなくなる。
体は疲れていても、脳が眠ろうとしない感じだ。
動物本能で、なんか興奮してるんですかね笑
未だに仕事に行く2時間前まで眠れなーい!とかたまにあるけど、
「眠れない」ことに恐怖感焦燥感がなくなってしまったので、
睡眠薬に頼ることもなく、ただ単に仕事のパフォーマンスが落ちてるだけで済んでる笑
つまり。
特に病気でもない人でも、天気に影響を受ける体質で女性なら、
1ヶ月のうちの相当な日数を『なんか調子よくない』状態で過ごすことになる。
実際はあまり調子よくない状態だけど、日々の忙しさでそれに気づいてないか、
まあそれでも動けますというのがふつうってことかな。
ドうつの時期は生産性ゼロだから論外にするとして。
当時の言葉で『低め安定』と言っていた状態のとき、
やる気が出ない、動きたくない、ずっと眠い(または眠れない)、食べる気がしない、なんか気持ち悪い、
それらをすべて『自分は今、うつの時期だからそのせいだ』と思い込んでいたんだけど、
それは普通の人間でもそうだった。
そんな状態だけど、まあ仕方ないからがんばるかとか、仕事だし行かなきゃしょうがないとか、重い腰をあげて体にムチうってだるいわーねむいわーと言いながら行動できるのが、
『うつではない、ふつうの状態』ということ。
人間はどうしても、自分の体が調子悪い時には『そればっかり』に意識がいってしまう。
たぶん、自分自身に関心を持ち過ぎになってしまってたんだと思う。
外出の機会も極端に減るし、人と接することも少なくなるから、他人と自分の比較もしなくなる。
こういう時期、他人に目が行くと見てしまうのは輝いてる部分だけだ。本当はそれだけではないのに。
で、自分の少しの心拍の変化や内臓の動きにも気づいてしまい、意識してしまい、ああまた悪くなったと思い込んでしまう。
そんな自分が悲しくて辛くて、時には許せなくて、こういう不快な症状は
ぜんぶぜんぶ憎き躁うつ病のせいだと思い込んでしまう。
わたしはたぶん、ずっとそうだった。
今回どうしても書きたかったのは、
なんでもかんでも、『躁うつのせい』にしないということ。
躁うつのアタマが、かわいそうだ。
いま体の調子が悪いのは、なんで?と確認して、
お天気のせいなら、それはもう逆らえないからあきらめる。
女性であるからなら、ホルモンてすごいとあきらめる。
『こころは、いつも、おちついてる』ておまじない、けっこう効きます。
でも最近、男社会の人間観察で気づいたんだけど、
健康な男性の1ヶ月の間の心境の変化・上がり下がりも相当なものだわ。
男も随分めんどくさいなー、と思う。
男性も、なんか周期的なものがあるんだろうな。
で、そういう『調子が悪くなる仕方ない原因』が思い当たらないときは、
単に風邪だったりする。
躁うつ病治療中でも、たまに外出して少しでも楽しく感じることがあったり、
これやってみようと少しでも思ったりするなら、
それは自分が感じている、思い込んでるよりもずっといい状態かもしれない。
コンビニに歩いて買い物行けましたとか、その程度でもたぶんそれは結構調子いい。
医者が言う「低め安定がちょうどいい」は合ってるのかも。
わたしはその言葉にいつもムカついてたけど笑
なんだか偉そうなことを書いたけど、これがわかったのは波が穏やかになって外の世界に出て働いて、他人の浮き沈みを目の当たりにしたからですもん。
人の相談もたまに受けるけど、やだわたしの方がよっぽど情緒安定してるって笑
医者に「大物」とまで言われてたわたしがです。
だいじょうぶだいじょうぶ。
いまよりすこしでも良くなりたい!って、ぜったい腐らなければ
かならずよくなる、よくなるよ。
軽躁とうつのイメージ
軽躁状態は、たのしい笑
躁うつ病の辛さに苦しんでいた頃、
あの軽躁状態が永遠に続かないものかと、いつも願っていた。
反動で必ずやってくるドうつがしんどくて、消えたくて消えたくてたまらなくなる。
その両極端加減が重いのが躁うつ病。
で、躁うつ病と和解した今。
『ドうつ』状態はなくなって、
『うつ』ではないけど、ふつうのだるいなーいやだなーはあって、
問題の『軽躁』はどうなのかというと。
軽躁状態に関しては、苦しんでいた頃と感覚はあまり変わっていないの。
ボルテージは変わらず、アンテナの感度が弱くなったという感じ。
なんでもかんでもやってみたい、あれもこれも欲しいはなくなったけど、
コレ!というものに対してはやっぱり飛びついてしまう。
それに関しては、
いくら労力がかかろうと時間がかかろうと睡眠時間がなくなろうと孤独であろうと、
かまわない。
ただ、金銭的なことが大きく係わってくると本当にどうしようもないから、
あきらめや先延ばしというものが出てきて、時間の経過で忘れたり飽きたりする。
情けないけれど、この状態はすごく自分にとっていいと思う。
よしよしよし予定通り飽きちゃったぞ、みたいな笑
わたしの躁のイメージは、昔からこれ。
もう、このPVのまんま。
頭の中、湧き上がる感情、熱量がこういう感じ。
どんどん湧いてくるアイディアややりたいことや、
好き好き!というガソリンがトクトク漏れ出していて、
シラフの状態でこれなので、変な方向に進むと相当やばいっていうのは肝に銘じておかないと、痛い目を見る。
みたよ、痛い目いっぱいみた笑
基本的に楽しくて色あざやかでキラキラしてる状態だから、
ここに『借金』『他人を巻き込まない』『体を蝕むまでやらない』がなければ、
わたしにとっては、とてもいい状態。
軽躁を楽しめる、適度に味わえる、
そして行き過ぎて落とし穴にはまらないように避ける、
先に穴を埋めておくというのが、コントロールできるようになって得た技。
軽躁の後に必ずやってくるうつは、こんな感じで忍び寄ってくる。
存在がなくて、でも自分の中で確実に起こってるから、飲みこまれて自分をなくすという感覚に近い。
周囲の人が『変わってしまった』と感じるのも仕方ない。
ちなみにこの2曲は、おなじバンドThe Cureの曲。
同じバンドの楽曲とはとても思えないほどの差。
ラピッドサイクラー状態だったときは、
Friday・・・→Lullaby→Friday・・・→からの希死念慮勃発という感じで、
本当に本当に苦しかったな。
苦しかったなとか、実はあまり記憶にないほどしんどかった。
現在は、軽躁についてはクリオネからうぇーい!がなくなって、
着火前にひととおり確認作業を行っている模様。
「うん、まあいいでしょう。着火」くらいの適当さだけど。
うつの方は、じわじわ連れて行かれるような感覚がなくなって、
危ういなと思っても正気を保てるようになった感じ。
「あっ違うな」って自力で逆方向に歩いて、始点に戻れるようになった。
結果、躁とうつの高低差がおだやかになって
わたしは生きやすくなったということなのかな。
最後の砦へ。
崖っぷちにいたわたしが、最後に何としてでも会いにいこうと決めた人。
躁うつ病に悩む人なら、たぶん知っているかな。
それまでに神田橋先生の著書はいくつか拝読しており、
こんなに躁うつ病を理解していて、長年の感覚みたいなもので患者を診ることができる仙人がいるのか!という期待と、・・・ちょっとなんかやばいな笑という部分と、
正直いろんな感情を抱いていた。
それまで十数年以上薬を飲んできて、薬には限界があると痛いほど実感してしまった部分、
明らかに悪化していると気づいてしまった部分。
そしてどうにかよくなりたいという、絶望的でもあり強くもある思い。
さらに度重なる希死念慮に襲われ、もう限界だと感じていた自分。
神田橋先生は、わたしの中では本当に本当の『最後の砦』だった。
苦しくて苦しくて仕方がないとき、いまはこんな状態だけど、
どうしようもなくなったら日本には神田橋條治がいる!
そういう勝手な心の拠り所でもあったので、
『実際に診察を受けてしまう』行為は賭けでもあった。
だってもし、神田橋先生のもとを訪れていい方向に向かわなかったら、
もうその先はないなという。
ま、実際そんなことは全くないけどね。
だってまた別の方法探せばいいだけのこと。
いまはこう言えるんだけれど、当時は本当にギリギリの精神状態だった。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、
当時のわたしは死の覚悟をもって、神田橋先生に会いに行った。
それほど切羽詰まっていたし、助けてほしかった。
だから仕事もやめて、100%躁うつに向き合うつもりだった。
仕事をやめて3か月かけて、やっと飛行機に一人で乗れる自信をつけて。
それが4年前、2014年の夏。
わたしの中では伸るか反るかの大博打。
神田橋先生のいる夏の鹿児島は暑くて暑くて、
でもなんだか開放的でなつかしい、不思議な気分だった。
初めてお会いした神田橋先生は、そこらの畑から出てきそうなおじいちゃんだった。
「ええ?そんなに遠くから来たの?へええ、すごいなあ。」
そう言って、わたしが事前に書いた問診票を読んでいた。
そこですぐ指摘されたのは、やはり服用している薬のこと。
「いやあ・・・これなんで?なんでこんなにいっぱい飲んでるの・・・〇〇はおかしいなあ。これが全部おかしくしちゃってるんだな。」
よくわからないけれど神田橋先生は、『何が原因でこじらせてるか?よくならないのか?』みたいな原因を突き止めるのが特技らしい。
絡まってもつれた紐をとくような、そんなイメージだと。
そのとき言われたのは、
・わたしに合ってなくて状態を悪くしてる薬
・必要のない薬
を教えて貰い、それは減薬を経て断薬すること。
それから、
・わたしに合っている薬と漢方薬に切り替えていくこと、それは地元の心療内科医といっしょにやっていくこと。
・そのうちわたしに合っている薬も減らして、必要ないと感じたらやめていい。調子が悪くなったら少し飲めばいい。
これだけだった。
そして独特の方法で、わたしに合うであろう薬を決定。
いちばん聞きたかった、襲ってくる希死念慮について。
「大丈夫。合わない薬をやめていけば、希死念慮は自然になくなるよ。」
途中、雑談もかなりあったんだけど、何度かびっくりすることがあった。
「あなたのお父さんかお母さん、どっちか鹿児島じゃないかね?」
わたしは父方が鹿児島。
わたしは東京生まれで、生まれる前に鹿児島の土地も何もかもなくなっちゃってるから、自分自身は鹿児島に特に思いもないんだけど。
「やっぱりね!最近これ試してるんだけどけっこう当たるの。初めて会う人に、この人、鹿児島に先祖いるんじゃないかなあっていうのが当たるようになってきた。」
「鹿児島にはね、躁うつの気がある人いーっぱいいるよ!フィリピンなんか行くと、もーっと、うじゃうじゃいるよー」
つまり暖かい地域特有の気性というか、性質ということらしい。
うじゃうじゃという言葉に、どれだけ救われたか。
躁うつ病は、脳の病気というより気質。
遺伝的要素が多く、合わないものに合わせようとしたり、無理をすることでどんどん悪くしていくということらしい。
そして、「何か選ぶことにしても、自分の直感や感覚を信じていい。訓練すると、その感覚がどんどん鋭くなる。躁うつの人はそういう直感力が強い人いるからね。あなたにはそれができるからね、やってみてね。」とも。
それからまあ、これは未だによくわからないんだけど、
わたしの前に立って、頭の前で人差し指を上下することを繰り返しながら、
『発症は27歳じゃない、もっと前。発症は17。19、23、27、32、35と何回も悪くしてる。』
とか言われた。なんか、見えるらしい笑
確かにその年齢にそれぞれ思い当たる大きい出来事があり、中には喜ばしいイベントもあった。
ちなみに問診票にそんなことは一切書いてないので、本気でひいた笑
・・・まあ、この辺はあまり書くと微妙な部分ではあるので、この辺にしておこう。
30分ほどの診察の中で、減薬を経て断薬する薬、新たに服用する薬、漢方を決めていただき、次にわたしが地元で通いやすい心療内科を探して(名簿から漢方やってる医師を「どれにしようかな」って適当に選んでた笑)、紹介状を書いていただいた。
その紹介状も私の前で読み上げながら書き、「こうやって書いたからね」と見せてくれた。
正直こんな紹介状で、行った先の医者は書いてある通りの薬を処方してくれるんだろうか?と不安でもあった。
だってだって、医者ってめんどくさ・・・難しいんだもん笑
アンチ神田橋先生みたいな医者だったらどうしようとか、
確実なデータもない状態で断薬だのこの薬に変えろだのうちではできませんとか言われたら、どうすりゃいいのっていう。
けど心配には及びませんでした。
転院先の心療内科医は、
『いやぁ・・・なつかしいお名前だ。若い頃、神田橋先生に憧れて手紙書いたんですよ・・・』と感激してニコニコ。
『神田橋先生がこの薬がいいっていうなら、そうするしかないですね・・・』と。笑
この医師は神田橋先生に選んでもらえて超光栄!という雰囲気で、
何の問題もなかった。
それにしても。
相当自信とか、よくなるという確信がないとこういう指示ってできないよなあ。
受け入れてくれた新しい心療内科医も、神田橋先生に絶対の信頼がないと、こんな遠隔操作みたいな治療受け入れないよなあ。
それぐらい精神科系の減薬、ましてや断薬って本当に厳しい。
決して安易にやっていいものではないし、できるものでもない。
わたしは1年以上かけて断薬を完了したし、離脱症状にも苦しんだ。
十数年間服用してきた薬を抜くのは、簡単なことじゃない。
断薬の四苦八苦については、また別のときに。
あと、神田橋先生にお会いするまでは頭の片隅にまだ、『こんなに長いあいだ薬でよくならないのは、実は躁うつ病じゃないんじゃないか?』みたいな、淡い期待もあったんですけど。
神田橋先生に診ていただいたことで、『あっ、やっぱガチで躁うつなんだ』と清々しく認めることができた笑
躁うつ病のすべての人にとって、神田橋先生がベストなのかはわからない。
個々の症状、個々の性格、合う合わないもあるだろうし。
仙人・達人の技みたいな部分もあるから、受け付けないって人もいると思う。
でも、「いくら医者がそんな症状ありえないって言ったって、患者さんがあるって言ってるんだから、それはあるんだよ。」という、
温度のある診察をしてくれる精神科医であることは確かだ。
これも有名だけど、繰り返し繰り返し読んでいた。
神戸の波多腰心療クリニックの院長先生が、
神田橋先生の口述を筆記したという『神田橋語録』
いまでも読むと、「あ、いいんだ」と安心するおまもり。
どうでもいいけど『かんだばし じょうじ』なんて、ほんとかっこいい名前ね。