躁うつ病と和解しました。

躁うつ病(双極性障害)で15年以上苦しんでましたが、和解しました。

なんでも躁うつのせいにしない。

躁うつの波が穏やかになった現在。

いつも楽しく穏やかで、やる気もありよく眠れるのか?

というと、まったくそんなんではない。

というか、もはやそんな人間は存在しない。

特にわたしは本来がめんどくさがりなので、

毎朝どうか勤務先から『今日は臨時休業』という連絡が来ないものかと期待してる。

 

以前のような『ドうつで動けなくて天井ばかり見てる』とか『躁による浪費・自暴自棄』という、生活に支障をきたすような極端な状態ではなくなった、というだけ。

だって躁うつは病気というより、体質・気質。

持って生まれたDNAの中に刻み込まれたものだから、しょうがない。

 

薬を完全に抜いてよーくわかったんだけど、

人間とは、なんて天候に左右される生き物なのかということ。

でもこれは体質によるのかな?

最近『天気痛』なんて言葉があるけど、わたしも天気やら気圧やらの変化でものすごく体調が変化する。

気圧が急激に低下する前に、猛烈に調子が悪くなる。

頭痛、吐き気、ひどい乗り物酔いみたいになってしまう。

特に春先は酷い。だから毎年春、猛烈に調子が悪かったのか。

逆に急激に気圧が上がるときも、すごく違和感がある。

心臓がすこしドキドキして、頭はふわふわちょっと酔っぱらってるような気持ちいいんだか悪いんだかわからない感じ。軽い焦燥感を感じる時もある。

そしてわたしが調子悪くなるより少し前に必ず、

これは100%の確率でうちの猫が吐く。

これにふと気づいたとき、本当に心の底から安心した。

わたしたちは、やっぱり動物なんだ!と。

 

なんとなくの感覚だけど、心療内科や精神科にかかる人は『天気痛』にやられてる人が多い気がする。

身の回りでも、人よりいろいろなことに気づき『気が利く』と言われる人は、もれなく天気痛と思われる症状に悩まされている感じ。

=内耳が敏感=自律神経が乱れやすい=生活全般ストレスフル という感じなのかな。

 

いまは天気痛対策の『頭つーる』なんてアプリもある。

気持ち悪いとか頭が痛くなったら見ると、たいてい気圧の大きな変化前なので、

もう大体の体調の悪さは天気のせいだと、あきらめもつく。

本来の使い方は事前に見て、悪くなるのを予防するために薬を飲むとかなんだろうけど、

なんかわたしは情報を見て影響受けるのが嫌なので後出しで使っている。

最近は、メニエール病の母が飲んでいた薬がわたしにも合うことがわかったので、

病院で処方してもらって頓服用に持ってる。

 

それに女性なら、毎月生理前やら排卵日前にぐるんぐるんと体内が変化し、そのあと生理が訪れ痛さ重さに悶え、調子が悪い日が多くて当然。

これも薬を切ってから気づいたんだけど、わたしの場合、排卵日直前だか当日だかには、眠れなくなる。

体は疲れていても、脳が眠ろうとしない感じだ。

動物本能で、なんか興奮してるんですかね笑

未だに仕事に行く2時間前まで眠れなーい!とかたまにあるけど、

「眠れない」ことに恐怖感焦燥感がなくなってしまったので、

睡眠薬に頼ることもなく、ただ単に仕事のパフォーマンスが落ちてるだけで済んでる笑

 

つまり。

特に病気でもない人でも、天気に影響を受ける体質で女性なら、

1ヶ月のうちの相当な日数を『なんか調子よくない』状態で過ごすことになる。

実際はあまり調子よくない状態だけど、日々の忙しさでそれに気づいてないか、

まあそれでも動けますというのがふつうってことかな。

 

ドうつの時期は生産性ゼロだから論外にするとして。

当時の言葉で『低め安定』と言っていた状態のとき、

やる気が出ない、動きたくない、ずっと眠い(または眠れない)、食べる気がしない、なんか気持ち悪い、

それらをすべて『自分は今、うつの時期だからそのせいだ』と思い込んでいたんだけど、

それは普通の人間でもそうだった。

そんな状態だけど、まあ仕方ないからがんばるかとか、仕事だし行かなきゃしょうがないとか、重い腰をあげて体にムチうってだるいわーねむいわーと言いながら行動できるのが、

『うつではない、ふつうの状態』ということ。

 

人間はどうしても、自分の体が調子悪い時には『そればっかり』に意識がいってしまう。

たぶん、自分自身に関心を持ち過ぎになってしまってたんだと思う。

外出の機会も極端に減るし、人と接することも少なくなるから、他人と自分の比較もしなくなる。

こういう時期、他人に目が行くと見てしまうのは輝いてる部分だけだ。本当はそれだけではないのに。

で、自分の少しの心拍の変化や内臓の動きにも気づいてしまい、意識してしまい、ああまた悪くなったと思い込んでしまう。

そんな自分が悲しくて辛くて、時には許せなくて、こういう不快な症状は

ぜんぶぜんぶ憎き躁うつ病のせいだと思い込んでしまう。

 

わたしはたぶん、ずっとそうだった。

 

今回どうしても書きたかったのは、

なんでもかんでも、『躁うつのせい』にしないということ。

躁うつのアタマが、かわいそうだ。

いま体の調子が悪いのは、なんで?と確認して、

お天気のせいなら、それはもう逆らえないからあきらめる。

女性であるからなら、ホルモンてすごいとあきらめる。

『こころは、いつも、おちついてる』ておまじない、けっこう効きます。

 

でも最近、男社会の人間観察で気づいたんだけど、

健康な男性の1ヶ月の間の心境の変化・上がり下がりも相当なものだわ。

男も随分めんどくさいなー、と思う。

男性も、なんか周期的なものがあるんだろうな。

 

で、そういう『調子が悪くなる仕方ない原因』が思い当たらないときは、

単に風邪だったりする。

 

躁うつ病治療中でも、たまに外出して少しでも楽しく感じることがあったり、

これやってみようと少しでも思ったりするなら、

それは自分が感じている、思い込んでるよりもずっといい状態かもしれない。

コンビニに歩いて買い物行けましたとか、その程度でもたぶんそれは結構調子いい。

医者が言う「低め安定がちょうどいい」は合ってるのかも。

わたしはその言葉にいつもムカついてたけど笑

 

なんだか偉そうなことを書いたけど、これがわかったのは波が穏やかになって外の世界に出て働いて、他人の浮き沈みを目の当たりにしたからですもん。

人の相談もたまに受けるけど、やだわたしの方がよっぽど情緒安定してるって笑

医者に「大物」とまで言われてたわたしがです。

だいじょうぶだいじょうぶ。

いまよりすこしでも良くなりたい!って、ぜったい腐らなければ

かならずよくなる、よくなるよ。

 

 

軽躁とうつのイメージ

躁状態は、たのしい笑

躁うつ病の辛さに苦しんでいた頃、

あの軽躁状態が永遠に続かないものかと、いつも願っていた。

反動で必ずやってくるドうつがしんどくて、消えたくて消えたくてたまらなくなる。

その両極端加減が重いのが躁うつ病

 

で、躁うつ病と和解した今。

『ドうつ』状態はなくなって、

『うつ』ではないけど、ふつうのだるいなーいやだなーはあって、

 問題の『軽躁』はどうなのかというと。

躁状態に関しては、苦しんでいた頃と感覚はあまり変わっていないの。

ボルテージは変わらず、アンテナの感度が弱くなったという感じ。

なんでもかんでもやってみたい、あれもこれも欲しいはなくなったけど、

コレ!というものに対してはやっぱり飛びついてしまう。

それに関しては、

いくら労力がかかろうと時間がかかろうと睡眠時間がなくなろうと孤独であろうと、

かまわない。

ただ、金銭的なことが大きく係わってくると本当にどうしようもないから、

あきらめや先延ばしというものが出てきて、時間の経過で忘れたり飽きたりする。

情けないけれど、この状態はすごく自分にとっていいと思う。

よしよしよし予定通り飽きちゃったぞ、みたいな笑

 

わたしの躁のイメージは、昔からこれ。


The Cure - Friday I'm In Love

 もう、このPVのまんま。

頭の中、湧き上がる感情、熱量がこういう感じ。

どんどん湧いてくるアイディアややりたいことや、

好き好き!というガソリンがトクトク漏れ出していて、

マッチ持ったパリピクリオネが、次々と着火してく感じ笑

 

シラフの状態でこれなので、変な方向に進むと相当やばいっていうのは肝に銘じておかないと、痛い目を見る。

みたよ、痛い目いっぱいみた笑

 

基本的に楽しくて色あざやかでキラキラしてる状態だから、

ここに『借金』『他人を巻き込まない』『体を蝕むまでやらない』がなければ、

わたしにとっては、とてもいい状態。

軽躁を楽しめる、適度に味わえる、

そして行き過ぎて落とし穴にはまらないように避ける、

先に穴を埋めておくというのが、コントロールできるようになって得た技。

 

軽躁の後に必ずやってくるうつは、こんな感じで忍び寄ってくる。


The Cure - Lullaby

存在がなくて、でも自分の中で確実に起こってるから、飲みこまれて自分をなくすという感覚に近い。

周囲の人が『変わってしまった』と感じるのも仕方ない。

 

ちなみにこの2曲は、おなじバンドThe Cureの曲。

同じバンドの楽曲とはとても思えないほどの差。

ラピッドサイクラー状態だったときは、

Friday・・・→Lullaby→Friday・・・→からの希死念慮勃発という感じで、

本当に本当に苦しかったな。

苦しかったなとか、実はあまり記憶にないほどしんどかった。

 

現在は、軽躁についてはクリオネからうぇーい!がなくなって、

着火前にひととおり確認作業を行っている模様。

「うん、まあいいでしょう。着火」くらいの適当さだけど。

 

うつの方は、じわじわ連れて行かれるような感覚がなくなって、

危ういなと思っても正気を保てるようになった感じ。

動く歩道の終点がうつ状態として、

「あっ違うな」って自力で逆方向に歩いて、始点に戻れるようになった。

 

結果、躁とうつの高低差がおだやかになって

わたしは生きやすくなったということなのかな。

最後の砦へ。

崖っぷちにいたわたしが、最後に何としてでも会いにいこうと決めた人。

躁うつ病に悩む人なら、たぶん知っているかな。

神田橋條治先生。(神田橋條治 - Wikipedia

 

それまでに神田橋先生の著書はいくつか拝読しており、

こんなに躁うつ病を理解していて、長年の感覚みたいなもので患者を診ることができる仙人がいるのか!という期待と、・・・ちょっとなんかやばいな笑という部分と、

正直いろんな感情を抱いていた。

 

それまで十数年以上薬を飲んできて、薬には限界があると痛いほど実感してしまった部分、

明らかに悪化していると気づいてしまった部分。

そしてどうにかよくなりたいという、絶望的でもあり強くもある思い。

さらに度重なる希死念慮に襲われ、もう限界だと感じていた自分。

 

神田橋先生は、わたしの中では本当に本当の『最後の砦』だった。

苦しくて苦しくて仕方がないとき、いまはこんな状態だけど、

どうしようもなくなったら日本には神田橋條治がいる!

そういう勝手な心の拠り所でもあったので、

『実際に診察を受けてしまう』行為は賭けでもあった。

だってもし、神田橋先生のもとを訪れていい方向に向かわなかったら、

もうその先はないなという。

ま、実際そんなことは全くないけどね。

だってまた別の方法探せばいいだけのこと。

いまはこう言えるんだけれど、当時は本当にギリギリの精神状態だった。

 

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、

当時のわたしは死の覚悟をもって、神田橋先生に会いに行った。

それほど切羽詰まっていたし、助けてほしかった。

だから仕事もやめて、100%躁うつに向き合うつもりだった。 

仕事をやめて3か月かけて、やっと飛行機に一人で乗れる自信をつけて。

それが4年前、2014年の夏。

わたしの中では伸るか反るかの大博打。

 

神田橋先生のいる夏の鹿児島は暑くて暑くて、

でもなんだか開放的でなつかしい、不思議な気分だった。

 

初めてお会いした神田橋先生は、そこらの畑から出てきそうなおじいちゃんだった。

「ええ?そんなに遠くから来たの?へええ、すごいなあ。」

そう言って、わたしが事前に書いた問診票を読んでいた。

そこですぐ指摘されたのは、やはり服用している薬のこと。

「いやあ・・・これなんで?なんでこんなにいっぱい飲んでるの・・・〇〇はおかしいなあ。これが全部おかしくしちゃってるんだな。」

 

よくわからないけれど神田橋先生は、『何が原因でこじらせてるか?よくならないのか?』みたいな原因を突き止めるのが特技らしい。

絡まってもつれた紐をとくような、そんなイメージだと。

 

そのとき言われたのは、

・わたしに合ってなくて状態を悪くしてる薬

・必要のない薬

を教えて貰い、それは減薬を経て断薬すること。

それから、

・わたしに合っている薬と漢方薬に切り替えていくこと、それは地元の心療内科医といっしょにやっていくこと。

・そのうちわたしに合っている薬も減らして、必要ないと感じたらやめていい。調子が悪くなったら少し飲めばいい。

これだけだった。

そして独特の方法で、わたしに合うであろう薬を決定。

 

いちばん聞きたかった、襲ってくる希死念慮について。

「大丈夫。合わない薬をやめていけば、希死念慮は自然になくなるよ。」

 

途中、雑談もかなりあったんだけど、何度かびっくりすることがあった。

「あなたのお父さんかお母さん、どっちか鹿児島じゃないかね?」

わたしは父方が鹿児島。

わたしは東京生まれで、生まれる前に鹿児島の土地も何もかもなくなっちゃってるから、自分自身は鹿児島に特に思いもないんだけど。

 

「やっぱりね!最近これ試してるんだけどけっこう当たるの。初めて会う人に、この人、鹿児島に先祖いるんじゃないかなあっていうのが当たるようになってきた。」

「鹿児島にはね、躁うつの気がある人いーっぱいいるよ!フィリピンなんか行くと、もーっと、うじゃうじゃいるよー」

 

つまり暖かい地域特有の気性というか、性質ということらしい。

うじゃうじゃという言葉に、どれだけ救われたか。

躁うつ病は、脳の病気というより気質。

遺伝的要素が多く、合わないものに合わせようとしたり、無理をすることでどんどん悪くしていくということらしい。

 

そして、「何か選ぶことにしても、自分の直感や感覚を信じていい。訓練すると、その感覚がどんどん鋭くなる。躁うつの人はそういう直感力が強い人いるからね。あなたにはそれができるからね、やってみてね。」とも。

 

それからまあ、これは未だによくわからないんだけど、

わたしの前に立って、頭の前で人差し指を上下することを繰り返しながら、

『発症は27歳じゃない、もっと前。発症は17。19、23、27、32、35と何回も悪くしてる。』

とか言われた。なんか、見えるらしい笑

確かにその年齢にそれぞれ思い当たる大きい出来事があり、中には喜ばしいイベントもあった。

ちなみに問診票にそんなことは一切書いてないので、本気でひいた笑

・・・まあ、この辺はあまり書くと微妙な部分ではあるので、この辺にしておこう。

 

30分ほどの診察の中で、減薬を経て断薬する薬、新たに服用する薬、漢方を決めていただき、次にわたしが地元で通いやすい心療内科を探して(名簿から漢方やってる医師を「どれにしようかな」って適当に選んでた笑)、紹介状を書いていただいた。

その紹介状も私の前で読み上げながら書き、「こうやって書いたからね」と見せてくれた。

正直こんな紹介状で、行った先の医者は書いてある通りの薬を処方してくれるんだろうか?と不安でもあった。

だってだって、医者ってめんどくさ・・・難しいんだもん笑

アンチ神田橋先生みたいな医者だったらどうしようとか、

確実なデータもない状態で断薬だのこの薬に変えろだのうちではできませんとか言われたら、どうすりゃいいのっていう。

 

けど心配には及びませんでした。

転院先の心療内科医は、

『いやぁ・・・なつかしいお名前だ。若い頃、神田橋先生に憧れて手紙書いたんですよ・・・』と感激してニコニコ。

『神田橋先生がこの薬がいいっていうなら、そうするしかないですね・・・』と。笑

この医師は神田橋先生に選んでもらえて超光栄!という雰囲気で、

何の問題もなかった。

 

それにしても。

相当自信とか、よくなるという確信がないとこういう指示ってできないよなあ。

受け入れてくれた新しい心療内科医も、神田橋先生に絶対の信頼がないと、こんな遠隔操作みたいな治療受け入れないよなあ。

それぐらい精神科系の減薬、ましてや断薬って本当に厳しい。

決して安易にやっていいものではないし、できるものでもない。

わたしは1年以上かけて断薬を完了したし、離脱症状にも苦しんだ。

十数年間服用してきた薬を抜くのは、簡単なことじゃない。

断薬の四苦八苦については、また別のときに。

 

あと、神田橋先生にお会いするまでは頭の片隅にまだ、『こんなに長いあいだ薬でよくならないのは、実は躁うつ病じゃないんじゃないか?』みたいな、淡い期待もあったんですけど。

神田橋先生に診ていただいたことで、『あっ、やっぱガチで躁うつなんだ』と清々しく認めることができた笑

 

躁うつ病のすべての人にとって、神田橋先生がベストなのかはわからない。

個々の症状、個々の性格、合う合わないもあるだろうし。

仙人・達人の技みたいな部分もあるから、受け付けないって人もいると思う。

でも、「いくら医者がそんな症状ありえないって言ったって、患者さんがあるって言ってるんだから、それはあるんだよ。」という、

温度のある診察をしてくれる精神科医であることは確かだ。

 

これも有名だけど、繰り返し繰り返し読んでいた。

神戸の波多腰心療クリニックの院長先生が、

神田橋先生の口述を筆記したという『神田橋語録』

いまでも読むと、「あ、いいんだ」と安心するおまもり。 

 

どうでもいいけど『かんだばし じょうじ』なんて、ほんとかっこいい名前ね。

ひとつめ、ふたつめの心療内科

初めて心療内科に行ったのは、2002年。

なんか自立支援の診断書にそう書いてあったんで、そうなんだと思う。

 

その頃前後数年間の私は、結婚してすぐ子どもを授かって、はじめての育児に必死。

同時期に、やると言ったら聞かない元旦那が突然起業したりして、いっぱいいっぱいだった。

 

ある日突然心臓がバクバク、どうしようもない『死んでしまうかも』という不安感、息ができないという症状が・・・

それ以後繰り返しそんな発作が起こるようになり、何度か病院に駆け込むも心電図などに異常なし。

その後もその症状に襲われ、わらにもすがる思いで心療内科を受診。

で、「パニック障害うつ病」との診断。

 

躁うつ病の多くの人が初めに下される、「うつ病」の診断。

でもこれは致し方ないことかと。

明らかに調子が悪い、不安感が強くて病院行くわけで、

調子が悪くても気持ちが大丈夫であれば、まず病院なんて行かないもの。

 

初めて訪れた心療内科の先生とは、いま考えても相性が良かった。

敬虔なクリスチャンで穏やか、東洋医学の漢方も取り入れた先生で、

抗不安薬抗うつ薬を出されてはいたけど、すごく薬の量も少なかった。

途中で漢方薬も取り入れて、調子は良くなっていった。

パニック発作も出なくなって自信もついてきて、

「薬を減らしていきましょう」という段階まできていた。

 

ところがある診察日、病院に行ったら様子がおかしい。

で、受付の人に告げられた一言。

「院長が、亡くなりました。」

 

頭の中が真っ白になった。

 

後からわかったことだけど、院長は末期の癌だった。

大きな大学病院を退職し開業医になり、軌道に乗った時点で見つかった末期癌。

奥様にもそのことを言えず、医師仲間にだけ打ち明けて手術を受けるも快方へ向かわず、亡くなったとのこと。

腰が痛い、ヘルニアの手術受けたんだよとつらそうに冷や汗かいていたけれど、

あれは癌の痛みだったんだなあ。

 

厳しい言い方をすれば、結果医師として責任感なさすぎなんだけど、

恨むような気持ちには全くなれなかった。

 

2週間分の薬を処方され、「次の病院は自分で探してください」と放り出されてしまった状態だった。

慌てて次の心療内科を探した。

次は、年配のベテラン精神科医

初診のときに「あなたは単純なうつ病じゃなくて、躁うつ病ですよ」と言われた。

すごく戸惑ったけれど、医師の説明には納得した。

言われてみれば、HighとLowの状態が極端だった。

 

なんで何でもできるような気がしてすべてがきらきら輝いて見える時期と、

鉛のように体が重く、自分だけが灰色のスローモーションみたいな時期があるんだろうと、悩んでもいた。

その日から薬の内容も変わっていった。

私はズボラでめんどくさがりのため、残念ながらどの時期に何の薬を飲んでいたかなど全く記録していない。

けれど、その医師は私が「あまり効いている感じはしない」と言うと、

薬の量を増量し、また次の新しい薬を試してみるというやり方だったので、最終的にかなりの量・種類の薬を飲んでいた。

たぶん、躁うつ病または、不眠症に関する薬の有名どころはすべて飲んでいると思う。

その後、何度も希死念慮に襲われ、どんどんふさぎ込んでいき、

そんな私を見て医師は、「あなたは軽いうつぐらいの方がちょうどいいんだよ」と言った。

とても悲しくてつらかった。

軽いうつぐらいがちょうどいいってなんだ?

希死念慮が起こるのも仕方ないから、我慢しなさいってこと?

 

躁状態のときに診察日で通院すると、「大物が来た」と言われてた笑

たぶんうつの時と軽躁の時の印象が、それほど違ったんでしょうね。

いま考えても『大物』とかヒドい笑

 

ふたつめの心療内科に通う12年間、

失声症やら栄養失調やら突発性難聴になり、離婚をし、自殺未遂をし、たくさんの躁転をし、

いろいろやらかしている笑

激動の20代後半~30代のため、実はあまり記憶がない。

 

そうやって軽いうつが平常、たまにドうつで動けなくなり、また軽いうつまで戻り、

躁状態で超絶ハッピー!からのドうつ状態

近年はラピッドサイクラーになっていた。

だいたい毎年、3月にドドドうつになる。

気がふれていて気づいたら死の一歩手前、こわくなってそのまま病院に駆け込むなんてこともあった。

 

2014年の3月、どうしようもない希死念慮が毎日毎日襲ってきて、

もう限界だと思った。

運よく自殺行為が成功しないだけで、こりゃ近日中に死んでしまうに違いないとおもったため、

最後の切り札を使う決心をした。

最後の切り札、最後の砦。

あの人に会って、それで良くならなければもうどうしようもない。

そのときは、死ねばいいじゃないか。

会うまでは絶対に死ねないと、希死念慮に耐えた。

それまでの仕事もやめて、単発の日雇いの仕事を始めた。

私が働かないと収入はない。

日雇いの仕事なんかじゃとても食べていけないけれど、

そうまでしても、どうしてもなんとかしたかった。

 

きっと、すごく生きたかったんだな。

いまこれを書いてておもった。

だって地獄のような苦しみだったから、選択しちゃえば楽なんだよほんとに。

でも生きられる術はないのかって試行錯誤して、執着してた。

 

いま、心の奥深くから思うこと。

自殺が成功しなくて、本当によかった。

なんというか、昔からこういう運に強い。

ミリ単位の危うさ。

生きてて、よかった。本当です。

現在の私

名前は、杏子です。

本名ではないけれど、母が私につけたかった名前。

戸籍にも載っていたけど、残念ながら大きく✖がつけられている。

そのことが、それを知った子どものころからずっとずっと悲しくて、

こういう機会にと杏子という名前を引っ張り出してる。

 

私は、シングル母として長くなんとかやってきた。

離婚の原因は、やはりこの躁うつ病がひどくなった時。

元旦那は日々状態を悪くしていくわたしを見て、

「俺のせいでこうなったと思うと、耐えられない」と離婚を切り出してきた。

正直しばらくの間、彼はわたしと子どもを捨てたんだと思ってた。

そう思わないと、躁うつ病を抱えながら気持ちを奮い立たせて働き続けることができ

なかったし、離婚して数年間は本当に嫌いだった。

『怒り』だけが原動力の時代だったなあ。

時が経ち怒りもなくなり、断薬もして躁うつ病とうまく付き合えるようになったいま、

彼が切り出した離婚という選択は正しかったと思ってる。

結婚生活を無理に続けていたら、間違いなく共倒れしてただろう。

いまは元夫婦という枠を越えて、娘の共通の親であり、

わたしの心の支えでもある。

わたしは離婚後、一度も直接会っていないけど。

 

一人娘は早くから社会人として働いており、

いつになっても心配は尽きないけど、子育てはいちおう終了。

 

私自身は躁うつがひどい時も、割とずーっとパートで働いてた。

そうしないと生活できなかったからなんだけど、

今にして思えばそれがよかったというか。

仕事をしてると基本的に一生懸命やりたいのでそっちに集中できる分、

病気のことを考えないで済んだ。

仕事は最高に気がまぎれるし、何よりお金が入る。

調子が悪くて動けなくて鬱々と病気のことを考えて休んでいるときは、

本当にいつも死にたいに追いかけられていた。

自殺行動を起こしてしまいそうな自分が怖くて、

自分で自分の体を縛ってたりした、異常な日々。

自殺未遂をして病院に駆け込んだ数日後に、

荒療治とわかっていながら普通に仕事に行ったりした。

崖っぷちだったとはいえ、よくやったなあと思うし頭おかしかったなとも思う笑

 

でも稼げるときに稼いでおいたおかげで、どう考えたって休職しなくてはというときに

休むことができた。

ずーっと働いてきて、断薬に取り組む約1年半は無職だったかな。

離婚してからはずーっとお金なくて、いまでもお金ないんですけど笑

なんか生きられるもんですね。

 

いくつかの転職を経て、現在も非正規だけど正社員なみに働いている。

『働き方、働く場所、環境』というのも、躁うつ病と和解するためにはとても重要。

たくさんの失敗を重ね、やっと自分に合ったいい答えが見つかりつつある。

 

ちなみに職場にはいわゆる『クローズド』で働いている。

障害者枠とかではなく普通に働いている。

そういうキャラじゃない立ち位置にいるため、今更言えなくなってしまった。

 

それと私自身どこか冷めてる部分があるというか、

闇雲に誰にでも病気のことを明かすべきじゃないと思ってたりする。

やっぱり人間は「得体の知れないもの、よくわからないものは怖い」というのがあると

思う。

そして悲しいかな、どうしても差別ってあると思うから。

だからこそ躁うつ病みたいなちょっと微妙な病気のことをオープンにする相手は、

こちらが選択しなければいけないと思ってる。

自分の身を守る術。

 

躁うつ病と共に歩き始めてから長い長い道のりだったな。

これからもたぶん試行錯誤、たまにどきっとして、たまに忘れちゃうぐらいがいいな。

いやでも、うまく付き合えるようになれば人間なんて勝手なもので、

あんなに振り回されたのに、忘れちゃう。

わたしもずっと忘れてたもん。

 

最近数年ぶりに調子が優れなかったので、

ちゃんと思い出して、何がよくなかったのか、これかなと思う原因を次々と見つけた。

数年ぶりにパニック発作まで出て、また逆戻りかもと泣きながら落ち込んだ。

と思いきや、2日で立て直すことができた笑

だいじょうぶ。

躁うつが悪かったわけではなく、わたしの行いが良くないだけだった。

今回再発かと思うほど悪化したおかげで、

躁うつのコントロール能力がまた上がった。

 

そんな発見も書いていこう。

春は鬼門

春はこわい。

躁うつ病と共に生きてきた中で、

毎年3月末に大躁転からどん底のうつに転げ落ちる経験を繰り返し、

すっかり春がこわくなってしまった。

 

でも、その「大躁転からの大うつ転落」が起こらなくなって

今回3回目の春を迎えることができた。

精神科系の薬を一切飲まなくなってからも、3年以上経つ。

 

それでもまだ、5月のこの時期はこわいと感じる。

躁うつの状態が悪くなることは、それほどの恐怖だったから。

3月の終わりから4月は大好きな桜の季節。

夢みたいに美しい桜色が嬉しくなって見に行くんだけど、

はらりはらりと桜が散るのを見ると、

「ああもう桜は散ってしまうし、いますぐ消えたい」

と本気で思っていた。

情緒不安定にもほどがあるけれど、躁うつのひどい時って本当にこうだから困る。

 

毎朝目覚めた時には、「また朝を迎えてしまった…」と絶望する毎日。

そこに愛する人がいる事実とかは関係なく、そういう感情が湧き上がる。

 

思い出すとつらいです。

で、なんで思い出すとつらいのにブログを始めてみようかと思ったかというと、

この鬼門の春のタイミングで不安要素がいくつか重なり、

ちょっと不安になったから。

気持ちがいそがしくて、かなり情緒が不安定。

こうして人は5月病と言われる状態になるんだな、わかってるわかってる。

 

いい歳なので、周りの人の話を聞いて励ましたり慰めたりしてるけど、

本当は自分自身がなんか不安で、落ちつかないんだからどうしようもない。

正直、躁うつ病であることや壮絶な闘病生活を経ての今があることも隠しているのが、

しんどくなってきちゃった。

 

いまのわたしは、躁うつ病を『悪い奴』だなんて思ってない。

躁うつの状態が悪くならなくなってすこし時間が経って、

自分が躁うつ病でずっと死にたい願望につきまとわれてたことも忘れて、

自分が躁うつ病だということすらほぼ忘れかけていたけれど。

なんだかこのまま無き者のようにするのは悲しくなってきた。

 

15年以上試行錯誤しながら、やっと手に入れることができた躁うつ病との和解。

いろんな人に迷惑かけちゃった、ごめんなさい。

いろんな人に助けてもらいました、ありがとう。

そういういろんな積み重ねがあっての和解なので、

躁うつ病はやっぱりわたしにとって大きい存在。

 

外では言えないことを、ここに書けたらいいな。